出島散歩(3)(歩崎観音2)
昨日の歩崎観音の続きです。

入口の山門です。左右には大きな一対の仁王像が置かれています。
この仁王様も興味深い話が伝わっています。
江戸時代に日光東照宮を建築するために多くの名匠が集められていたそうです。
その工事には30年もの年月を費やしており、この日光の仕事が終わった後に関東各地にこの名匠たちが散って行ったようです。
その中の1人がこの地で仁王像を彫って納めたといわれているようです。(記録では1534年)

山門から奥の本堂を見たところです。山門も本堂もかなり重厚な趣を感じます。

境内から見た正面が本堂。右側が寺の管理をしている真如苑の茨城本部です。こちらの建物は対岸にあった長泉寺より建て物を移したものだそうです。
この寺も古くからの歴史のある寺でしたが、檀家がいないため戦後には荒廃が進んでしまい、昭和23年に真如苑にお願いして管理していただいているものだといいます。

本堂です。

この本堂の拝殿上には龍の彫り物があります。

この本堂は戦時中の爆弾投下によって後ろ側に少し傾いてしまったそうです。
それを2本の丸太で支えています。写真は写しませんでしたが、今でも2本の丸太が見えます。
現地でこの支えを見た時に昨年の地震の影響かと思いました。
あとで調べてわかったものです。
本堂横には鐘楼があり、山門の先には昨日紹介した展望台があります。
昔は海を眺めるように山門が建っていたのでしょう。
この歩崎観音もかなり面白いです。調べると色々なことがあるようですがあまりか書かれていません。
このブログもこのままでは観光案内に終わってしまいますのでもう1回この続きを明日書きますね。
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入口の山門です。左右には大きな一対の仁王像が置かれています。
この仁王様も興味深い話が伝わっています。
江戸時代に日光東照宮を建築するために多くの名匠が集められていたそうです。
その工事には30年もの年月を費やしており、この日光の仕事が終わった後に関東各地にこの名匠たちが散って行ったようです。
その中の1人がこの地で仁王像を彫って納めたといわれているようです。(記録では1534年)

山門から奥の本堂を見たところです。山門も本堂もかなり重厚な趣を感じます。

境内から見た正面が本堂。右側が寺の管理をしている真如苑の茨城本部です。こちらの建物は対岸にあった長泉寺より建て物を移したものだそうです。
この寺も古くからの歴史のある寺でしたが、檀家がいないため戦後には荒廃が進んでしまい、昭和23年に真如苑にお願いして管理していただいているものだといいます。

本堂です。

この本堂の拝殿上には龍の彫り物があります。

この本堂は戦時中の爆弾投下によって後ろ側に少し傾いてしまったそうです。
それを2本の丸太で支えています。写真は写しませんでしたが、今でも2本の丸太が見えます。
現地でこの支えを見た時に昨年の地震の影響かと思いました。
あとで調べてわかったものです。
本堂横には鐘楼があり、山門の先には昨日紹介した展望台があります。
昔は海を眺めるように山門が建っていたのでしょう。
この歩崎観音もかなり面白いです。調べると色々なことがあるようですがあまりか書かれていません。
このブログもこのままでは観光案内に終わってしまいますのでもう1回この続きを明日書きますね。


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