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出島散歩(4)(歩崎観音3)

 歩崎観音の3回目です。これで最後です。

それにしても33年に1度しか開帳されないものに興味がわきますね。

(追加:2012年から8月16日のあゆみ祭りの時に毎年開帳されるようです)

まず1つはご本尊である「十一面観音像」です。
行基菩薩が彫った像を旅の僧がこの地に堂宇を建てて安置したといわれるものです。

もう一つは「黄金で造った機織機」です。
1182~3年頃、竜女がお産に苦しんでおりました。その時この観音様に願掛けします。
「このお産が無事にできれば黄金で機織り機を造って奉納いたします。どうか無事に子供が生まれますように!」と。
願い通り安産となった竜女は約束通り、金の機織り機を奉納したといわれています。

もう一つ見たいものがあります。
それは石岡の三村地区の上の高台に「正月平」という土地があり、ここに伝わる話です。
この目出度い土地の名前は前に書いたことがありますが、源義家親子が前九年の役で、奥州に向かう途中でこの地で正月を迎えました。
数軒しかなかったこの地の住民は総出で、乏しい貯えの中から赤飯を炊いて正月のおもてなしをしたそうです。
そして源義家(八幡太郎)と父の頼義は、それに大いに感激しそうです。
このことは「休馬美落集」という巻物の中で、義家は村人に対し心より感謝の気持ちを表しているそうです。
さて、この時に源義家親子は、この地に「黄金のはたし」を残したといわれています。この黄金のはたしは江戸時代まで地元(正月平)にあったが、歩崎観音に奉納され、これも33年に1度しか見ることができなくなったのです。
この「はたし」とはどんなものかまったくわかりません。旗でしょうか。

私が古東海道が常陸国府である石岡には美浦村から霞ケ浦を渡ってこの出島地区を通って、またこの三村地区で中津川へ渡っていたと確信した一つの表れでもあります。
しかし、何処にも書かれているものもないんですよね。

地元に伝わっている僅かな痕跡もわかった時に少しずつ何処かに書いたものを残せば、それを見てまた調べたりする人も出てくるかもしれません。

kannon17.jpg

上の写真は歩崎観音のすぐ裏手にあったものですが、お墓でしょうか。
読みとれるものが少ないのですが、一番左側に「海量法師」と書かれています。
少し興味を持って調べてみました。

海量法師は江戸時代後期の僧・歌人で、1733年に近江国犬上郡の浄土真宗の寺に生まれ、後に江戸に出て歌人となり、近江の彦根藩主井伊直中に招かれて、藩校などを建て彦根藩の教育に尽力した人物だそうですが、後に全国の諸国を回ったといいます。

この歩崎観音には何時来たのかよくわかりません。しかし、この寺の住職をして数々の奇跡などを示したと言われていて、この地で不慮の死を遂げたといわれています。

このあたりは、何処までが真実かは知る由もないのですが、考えると興味は尽きません。
この海量法師がいなくなってから、この寺は無住になり荒廃が進んでしまったのだそうです。

調べた中にある方のブログ(こちら)に四国石鎚山で詠んだ歌が載っていました。

 遠遊 千里 天涯を 度る

 南予の 山川 行路 斜めなり

 独り 石鎚の 山色を起こす 有り

 暮春 三月 雪花の 如し

3月に石鎚山も雪が積もっています。こちらも他の方のブログでその景色を見ました。
夏には鎖場などを伝って登ったこともあるのですが、冬のこの山は知りません。
今の時期にこの歌がピッタリでしたので転載させていただきました。(勝手にすみません)

kannon18.jpg

こちらは、北参道(あまり使われていない)側に立っていた石碑「豚霊之碑」です。
このあたりに養豚がさかんというような感じはしませんが、何かあるのでしょうね。
少し調べて見たのだけれどわかりませんでした。

ayumisaki20.jpg

こちらは展望台のすぐ横に置かれている「金毘羅神社」です。
何時頃建てられたものかは不明ですが、かなり古くからあるようで、歩崎観音を修復する時にこちらも修繕したようです。
海(霞ケ浦)の安全を願って漁される方などが参拝をされる方が多いそうです。

さて、歩崎(あゆみさき)の名前ですが、今から900年ほど前のこと、この沖合を航行する船が嵐で沈みそうになりました。
その時に「観世音菩薩様」と唱えると、観音様が現れて海を歩いて船までやってきて、岸辺に導いてくれたといいます。
このためこの観音様を歩崎観音と言うようになったといいます。
この話が本当かうそかなどは何の問題もありません。
このような話にはその時代の歴史的な思いが伝わってきます。
それが大切に伝えていく意義があるのだと思います。



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出島散歩 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2012/03/19 19:06
コメント
No title
八幡太郎は玉造にも言い伝えがありますよ。

今は枯れてしまった高須の一本松は八幡太郎が植えたと言われています。

samuraiblue様
こんばんは。
コメントありがとうございます。

> 八幡太郎は玉造にも言い伝えがありますよ。
> 今は枯れてしまった高須の一本松は八幡太郎が植えたと言われています。

情報ありがとうございます。
全国的にたくさんいわれはありますね。
石岡も若宮八幡宮にも伝わっており、昔裏手にあった松は鞍掛けの松と言われていました。

でも前九年の役の時はまだそれ程有名ではなく、少し通った道が違うのが気になっています。
まあ、鎌倉時代にはなんでもいざ鎌倉で縁起かつぎに八幡神社が出来ましたね。
玉造も通ったとすれば面白いですね。
はじめまして。
実は茨城は訪れた事がないんです。
これからも楽しみに読ませて貰います。
近いうちに街灯を撮りにお伺いします。
今後共宜しくお願い致します。
No title
すごく調べてますね。
素晴らしい。
「豚霊之碑」、何なんでしょうね(笑)
ちょっと気になりますね。
toyosun様
ご訪問ありがとうございます。

> 実は茨城は訪れた事がないんです。
> これからも楽しみに読ませて貰います。
> 近いうちに街灯を撮りにお伺いします。

是非来てください。
私のいる石岡市中町も街燈いいですよ。
夜は寂しいですが、この街燈に浮かぶ昭和ロマンの町も捨てがたいと思います。
また田辺出身の植芝盛平翁の像が笠間市(岩間)の合気神社にあります。

> 今後共宜しくお願い致します。

こちらこそよろしくお願いします。
熊楠の記事とても興味深く拝見しています。
テンスタ様
おはようございます。

> すごく調べてますね。
> 素晴らしい。

ありがとうございます。私の備忘録代わりです。(笑)
でもあまり書かれていないので、こうして残しておけば
誰かが、いつか発展させてくれるかもしれませんから。

> 「豚霊之碑」、何なんでしょうね(笑)
> ちょっと気になりますね。

ホントですよね。少し気味悪いかも??

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