出島散歩(9)(椎名家住宅)
先日紹介した南円寺から更に少し進んだ出島の湖に出る途中の街道沿いに「椎名家住宅」という看板が出ていた。
その看板から細い横道を入って見ると、かなり立派な昔の住宅が残されていた。
こんなところにと不思議な気がしたが、どうやらこの民家はすごいものだった。
東日本で記録のわかっているうちで「もっとも古い民家」だという。
国の重要文化財なのだ。
こんな場所にと不思議な気がしたが、やはりこのあたりは古くからの何かがありそうだ。

この椎名家住宅が建築されたのは1674年だという。徳川4代将軍家綱の時代である。
もっとも昭和後半に解体修理したそうだが、昔を復元しているという。

詳細は読んでいただければわかりますね。(現地の説明看板です)

金・土・日のみの見学と書かれていたが、訪れたのは木曜日。でも行ってみると戸は開けられ、一応は暗いが中は見れた。
土間にはかまどと農機具などが置かれていました。

当時の者が置かれているのだろうが、あまり置かれているものは少ない。

今から340年くらい前の民家として考えると、この椎名家はこの辺りではかなりの豪農であったのだと思う。
藁葺屋根の造りなど興味深いものがあります。

住宅への入口です。大きな古木(榎)が入口に残っています。
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その看板から細い横道を入って見ると、かなり立派な昔の住宅が残されていた。
こんなところにと不思議な気がしたが、どうやらこの民家はすごいものだった。
東日本で記録のわかっているうちで「もっとも古い民家」だという。
国の重要文化財なのだ。
こんな場所にと不思議な気がしたが、やはりこのあたりは古くからの何かがありそうだ。

この椎名家住宅が建築されたのは1674年だという。徳川4代将軍家綱の時代である。
もっとも昭和後半に解体修理したそうだが、昔を復元しているという。

詳細は読んでいただければわかりますね。(現地の説明看板です)

金・土・日のみの見学と書かれていたが、訪れたのは木曜日。でも行ってみると戸は開けられ、一応は暗いが中は見れた。
土間にはかまどと農機具などが置かれていました。

当時の者が置かれているのだろうが、あまり置かれているものは少ない。

今から340年くらい前の民家として考えると、この椎名家はこの辺りではかなりの豪農であったのだと思う。
藁葺屋根の造りなど興味深いものがあります。

住宅への入口です。大きな古木(榎)が入口に残っています。


親戚のこういう造りの家に、子供のころ泊まりに行きましたが、昭和40年代からは劇的に生活が変わり、土間はメラミン張りの台所となってシステムキッチンが入り、火事を恐れて外に独立した小屋だった風呂場は家の中となり…と変化してゆきました。
古民家を残すとしたら、住まいとすることは諦めて保存に徹するほかはないですね。
椎名住宅が変わっているナと思う点は、縁側が見えないことです。写真は南面のはずですから、通常の農家であれば広い縁側があるのですが、時代が古いと違うのでしょうか、珍しいです。
> 引き戸を開けると土間になっておりかまどがある造りは、昭和の前半まではちょっと田舎に行けば見られた造りですね。1600年代の民家をこうして見た時に、なつかしい感じを持つということは、昭和前半までは時間がゆっくりと流れていたということなのでしょう、少なくとも田舎では。
たしかに田舎ではこんな造りの家は結構ありました。
今も改造しながら残っている所もありますが、1600年代の民家と言ってもその当時から少しは変わってきているでしょうね。
風呂や厠などはずいぶん変ったのでしょうね。でもずいぶん大きな家ですね。
中に勝手に入るのは、見学曜日でなかったので詳しくはわかりません。
200円払って見学日には説明案内があるのかもしれません。
でもここに来る人はあまりいないように思います。
> 古民家を残すとしたら、住まいとすることは諦めて保存に徹するほかはないですね。
> 椎名住宅が変わっているナと思う点は、縁側が見えないことです。写真は南面のはずですから、通常の農家であれば広い縁側があるのですが、時代が古いと違うのでしょうか、珍しいです。
脇の方にも縁側は見えなかったです。今では暮らすには確かに不便でしょうね。
>
まあ古民家といいましても、
私が小学校に入る前の頃に知っている
親父の実家なんぞ明治以来のまるっきりの農家な古民家でして(^^ゞ
納谷も蔵も馬小屋も庭もちゃんとありまして、
土間の作りとかなんだかんだ保存されている古民家そのもの、
納谷は社会の教科書に出てくるような古い農具がたくさん有りましたし、
そのままとっておけば市の指定文化財くらいになったのではとこれまた残念( ̄▽ ̄*)
何年か前ですが常陸太田山麓の廃農家十件を
年間三万で貸す案内があったのですが、
そのとき真面目に使用を考えていた私です(^^
古民家も手入れは大変。特に江戸時代などのものは壁の土塀の材質も
手に入れるのが一苦労だそうです。
それをこうして保存するのにはやはり理由があるんでしょう。
kurokenさんのところも残して保存していたら今頃文化財となって
逆に苦労が増えていたかもしれませんね(笑)
そういうところの思い出があって、こうして曲屋などを時々楽しめたらいいですよね。
石岡も茅葺屋根の保存が大変になっていますが、ほとんど生活しているので、暮らすのも
これから大変なのかもしれません。考えてしまいます。
> 何年か前ですが常陸太田山麓の廃農家十件を
> 年間三万で貸す案内があったのですが、
> そのとき真面目に使用を考えていた私です(^^
それは借りなくて良かったかもしれませんね。
維持管理を考えただけで、とても私などには手が出せません。
補助金などを活用して、組織的に何かに活用できるのなら考えても面白そうですが
常陸太田の山麓ということを考えるととても大変でしょう。
ひたちなかPR頑張っていきましょう。