出島散歩(5)(田伏城と実伝寺)
旧出島村と行方市を結ぶ霞ケ浦大橋の近くに実伝寺という曹洞宗のお寺がありました。
この寺の場所が少し気になって立ち寄りました。
お寺としては特にこれといった特徴もないように見えます。
しかし、置かれている位置が少し気になったのです。
この場所は近くに霞ケ浦名産の佃煮などの加工場もあり養殖の陸いけすもある低地です。

(サムネルです。クリックで拡大します)
寺の入り口横に小山がありその麓に紅梅がきれいに咲いていました。

(サムネルです。クリックで拡大します)
この小山の入口に鳥居があり、頂上には神社でもあるのでしょうか。こんもりとした山なのでまるで古墳のような感じがしますが、何も書かれた物はありません。
ネットで調べて見るとどうやら「青祖神社」と呼ばれているらしい。

(サムネルです。クリックで拡大します)
お寺の横の梅の古木はまだほとんど咲いていませんでした。

お寺は特にこれといった特徴があるものではありません。
少し古びた山門と奥に本堂があるだけです。
しかし、調べて見るとこのお寺の裏山(今は麓からお墓が延びています)が、かって小田氏の部下の「田伏氏」の居城があったそうです。
田伏氏は土浦の小田氏が佐竹氏に滅ぼされた時に滅亡しました。
この実伝寺の名前も田伏城の城主「田伏次郎大夫藤原実伝」という人物がこの寺を建立したのでつけられたようです。この藤原実伝は1396年に没したそうだから、この寺はその前からあるのでしょう。
土浦の小田氏が滅んだのは1590年頃なので、その前後にこの城も滅んだものと思われます。
城は滅んでも寺は残るんですね。
焼けても後に建てなおされるのでしょう。
(石岡)府中城の城主の弟の居城「三村城」の常春(つねはる)が建てた常春(じょうしゅん)寺はその麓に残っているのと同じでしょう。

参道の中間に建つ山門です。

この山門の入口に「不許葷酒界内」と書かれています。
これは前に稲敷市の興禅寺の山門の入口に「不許葷酒入山」と書かれていましたものと同じですね。(こちら)
この時は「葷酒(くんしゅ)の山門に入るを許さず」でニンニクなどの臭いにおいや酒臭い人はこの山門から入ってはいけないという意味でしたが、こちらは界内に入ることを許さずです。
この石柱が建てられた年月が裏側に彫られていて嘉永元年となっていますので1848年です。
ネットで検索していたらこのお寺の場所に「実伝寺貝塚」と言うのが載っていました。
貝塚があった少し盛り上がった台地にお寺を建てたのかもしれません。
でも霞ケ浦まですぐです。
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この寺の場所が少し気になって立ち寄りました。
お寺としては特にこれといった特徴もないように見えます。
しかし、置かれている位置が少し気になったのです。
この場所は近くに霞ケ浦名産の佃煮などの加工場もあり養殖の陸いけすもある低地です。

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寺の入り口横に小山がありその麓に紅梅がきれいに咲いていました。

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この小山の入口に鳥居があり、頂上には神社でもあるのでしょうか。こんもりとした山なのでまるで古墳のような感じがしますが、何も書かれた物はありません。
ネットで調べて見るとどうやら「青祖神社」と呼ばれているらしい。

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お寺の横の梅の古木はまだほとんど咲いていませんでした。

お寺は特にこれといった特徴があるものではありません。
少し古びた山門と奥に本堂があるだけです。
しかし、調べて見るとこのお寺の裏山(今は麓からお墓が延びています)が、かって小田氏の部下の「田伏氏」の居城があったそうです。
田伏氏は土浦の小田氏が佐竹氏に滅ぼされた時に滅亡しました。
この実伝寺の名前も田伏城の城主「田伏次郎大夫藤原実伝」という人物がこの寺を建立したのでつけられたようです。この藤原実伝は1396年に没したそうだから、この寺はその前からあるのでしょう。
土浦の小田氏が滅んだのは1590年頃なので、その前後にこの城も滅んだものと思われます。
城は滅んでも寺は残るんですね。
焼けても後に建てなおされるのでしょう。
(石岡)府中城の城主の弟の居城「三村城」の常春(つねはる)が建てた常春(じょうしゅん)寺はその麓に残っているのと同じでしょう。

参道の中間に建つ山門です。

この山門の入口に「不許葷酒界内」と書かれています。
これは前に稲敷市の興禅寺の山門の入口に「不許葷酒入山」と書かれていましたものと同じですね。(こちら)
この時は「葷酒(くんしゅ)の山門に入るを許さず」でニンニクなどの臭いにおいや酒臭い人はこの山門から入ってはいけないという意味でしたが、こちらは界内に入ることを許さずです。
この石柱が建てられた年月が裏側に彫られていて嘉永元年となっていますので1848年です。
ネットで検索していたらこのお寺の場所に「実伝寺貝塚」と言うのが載っていました。
貝塚があった少し盛り上がった台地にお寺を建てたのかもしれません。
でも霞ケ浦まですぐです。


曹洞宗だから禅宗ですね(戒律が厳しい…はず?)
でも一休さんも禅宗ながら「飲む打つ買う」の
破壊僧ですから…まぁー厳しい規則を設ければ
破りたくなる・抜け道を探したくなる人の性。
「金閣寺」(三島由紀夫)は浄土真宗ですが
あれも いろいろだし。戒律を破った僧侶自身が
何人いたことやら…
紅梅きれいですね。
こちらの方もようやく梅が咲き出しました。
今年は寒かったせいか梅の開花も随分と遅かった気がします。
とても静かな感じのお寺ですね。
歴史を感じます。
> 曹洞宗だから禅宗ですね(戒律が厳しい…はず?)
NINAさんはキリスト教だけでなく仏教も詳しいんですね。
この門のところに置かれている不許葷酒・・・は禅寺だからあるんだと思います。
お寺の坊さんが戒律を破るのではないでしょう。
> でも一休さんも禅宗ながら「飲む打つ買う」の
> 破壊僧ですから…まぁー厳しい規則を設ければ
> 破りたくなる・抜け道を探したくなる人の性。
そうなんですか。知りませんでした。とんち話しか・・・。
> 「金閣寺」(三島由紀夫)は浄土真宗ですが
> あれも いろいろだし。戒律を破った僧侶自身が
> 何人いたことやら…
そ・そうなの?? 金閣寺も昔読んだけど覚えていないな。
ありがとう。とても興味深かったです。
今年はほんとうに気温が低くて梅もまだ満開になりません。
でもここにも咲いていたなんて言って楽しむ時間が長くて良いとも考えています。
梅の期間は長いので桜と同時に楽しめそうです。
> とても静かな感じのお寺ですね。
> 歴史を感じます。
そうです。あまり周りに家もまばらなので。
観光客は先ず来ないでしょう。
中世の城マニュアくらいかな。
コメントありがとうございます。