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出島散歩(17)坂本九と霞ヶ浦

 このブログも一昨年8月から1年半をすぎ、ここまで休み無く記事をUPしてきました。
すでに782件の記事を書いたことになります。

大概は休みの日などに調べて書き溜めたりしていたのですが、書きたいことはたくさんまだあるのですが、時間的な余裕がなくなってきています。

”石の上にも三年”、”継続は力なり”などと考えながら続けていますが、まあ大分きつくなってきました。
実はこの土日は今までの記事をまとめて冊子にしておこうとしたのです。これもまとまったら記事にUPしますが、かなりのボリュームになりました。
今年初めまでの分だけで、200ページで4冊位になってしまいました。

ブログをプリントされたもので見るのもいいですね。
また違ったものになるし、今までのことがよくわかります。

今日は記事を書き溜めていないので、タイトルに書いた「坂本九」ちゃんとこの霞ヶ浦のお話を少し紹介します。

坂本九さんは神奈川県川崎市で1941年12月10日に生まれました。本名は「大島九(ひさし)」。
名前のとおり九番目の子供でした。
父親は坂本寛。母親は「いく」でその旧姓が大島です。

九の誕生日は真珠湾攻撃の2日後で、太平洋戦争に突入した時に生まれたのです。
そして、戦争が激しくなり、母親と茨城県笠間に疎開します。(前に書いた「九ちゃんの家」参照)

この笠間は母親の実家があった場所で、坂本九の結婚式を笠間稲荷で挙げたため、意外に知られていますが、あまり知られていない事実があるようです。
実は、笠間に行こうと上野を列車で母親と出たのは1943年10月26日です。2歳にまだならない子供でした。

この常磐線の列車が土浦駅で貨物列車と衝突し4両が脱線し、そのうちの1両が桜川に転落し死者110名、負傷者107名の大惨事が起こりました。

この時、実はこの川に転落した車両に最初は坂本親子は乗り合わせていたそうです。しかし、途中で車両を移ったために無事だったといいます。
このことも笠間稲荷信仰の元になっていたようです。

本名の大島は母親の旧姓で、両親が離婚したので坂本から大島になったそうです。

実は、この鉄道事故の話はさて置き、坂本家がここ霞ヶ浦にも深い関係があるようです。

先日田伏城の話を書きましたが、霞ヶ浦大橋の手前あたりを「田伏」といいます。
ここに坂本九の祖父が住んでいたそうです。祖父の名前は「坂本金吉」さんといいます。

実はこの方は魚の行商等をしていたようですが、秋田の八郎潟で魚がたくさん取れると知り、妻と息子(坂本九の父親)を連れて、八郎潟に移住しました。(明治30年代)
そして、霞ヶ浦でおこなわれていた帆引き船の漁法を八郎潟に教えた人だといいます。
秋田ではまたこれを改良して「うたせ舟」漁法と言われているようです。

八郎潟のこのうたせ舟は干拓が始まる頃まではたくさん湖に浮かんでおり、八郎潟の風物詩となっていたようです。

こんなつながりを知るとまた大島家の方とも茨城のつながりを感じますね。

石岡に残された「忠犬タロー」物語。九ちゃんの長女「大島花子」さんの歌が幼稚園児の声で聞こえてきます。

ここで君をまってるよ」(Youtube)

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出島散歩 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/04/02 20:14
コメント
No title
782件の記事ですか。
すごいですね。(^.^)

坂本九さんの話、関係あるんですね。
初めて知りました。
テンスタさん
おはようございます。

> 782件の記事ですか。
> すごいですね。(^.^)
だいぶたまりました。まず1000件まで頑張ります。
これも自己満足と自分にノルマを課すしか続かないですね。

> 坂本九さんの話、関係あるんですね。
> 初めて知りました。
意外に面白いですよね。前にこの場所におじいさんがいたとは本で読んでいたのですが
最近内容を知ったので紹介しました。

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