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出島散歩(24)-空也堂

 今日も暖かで、桜はあっという間に満開になった。
会社の行き帰りの時間差だけで桜の開き具合が変わっているのがわかる。
今週末一杯はなんとか持ちこたえて欲しい。

常陸風土記の丘のしだれ桜は今週末くらいから見頃となるのだろう。
まだ行ってみていないが、見に行く前に散らないで欲しいものだ。

桜は他の方のブログでこのところたくさん見ているのでまあ少し自分で撮るのはあまり気が進まない。
急いてもしょうがないので、行く春を存分に楽しみましょう。
去年のことを思えば気分は全くちがっている。

出島の寺やお堂、また道端のすみに置かれている石仏たちに、知らない間に心を奪われてしまったかもしれない。
昔は旅すればどんなところにも必ず「道祖神」や「二十三夜塔」などがあったのだろう。

芭蕉が奥の細道に出発したのは元禄2年3月27日となっているが、今の暦では5月の中旬だそうだ。
出立するときに読んだ歌は

「行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪」

である。
鳥も魚も行く春を惜しんで泣いているように感じたのだろう。

この序文は有名な「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。・・・」で始まるが、このしばらくあとに

「白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取る物手につかず・・・」

という記述がある。あちこち歩いて旅して、道端にある道祖神に心を慰められたことが思い出され、東北の道端の神様に会いたくなったのだろう。
どうも年取るとこんな道祖神に会うと、またどこか出会いたくなるものなんですね。

昨日、四国八十八霊場に関連した像が置かれていた「福蔵寺」を紹介しましたが、地図でみるとこの近くに面白そうなところが載っていました。

もちろんもっと大きな寺や由緒のある神社はあるのですが、あまり人が訪れることもない神社やお堂にこそ、この地に残って続いている信仰や風習のかおりがしてきます。

少しだけ覗いてみましょう。

まずは昨日の安食より少し手前の宍倉堂山の菱木川に近い台地にあるにある「空也堂」です。
地図には名前が載っていましたが、現地には何の案内板もありません。

kuuya01.jpg

県道から入った横道から更に横に入る道があります。上の写真のような入り口の道路です。
通りの左側は菱木川です。

kuuya05.jpg

少しこの道を行くとすぐ上に登る石段があります。お堂が見えます。
空也というから空也上人を祭っているのでしょう。

kuuya02.jpg

登りの石段の途中に「四国?場中御本尊石仏供養塔」なるものが置かれています。
ここも四国の弘法大師(空海)の密教・高野山信仰などと何か関わりがありそうです。

kuuya03.jpg

さて、ここも調べていたらとても面白そうなところです。
京都の六波羅密寺と福島県八葉寺と並んで「日本三空也」の一つだというのです。
このお堂は2006年に建て替えられたものだそうです。

kuuya04.jpg

見た目にはなんにもなさそうではあるのにこの地はとても変わっています。
この宍倉城の城主「菅谷氏」の時代から浄土教信仰がとても盛んなところだったそうです。

こちら(常陽リビング)に詳しく載っていました。(→住民ののど潤した空也上人のお堂

それにしても鹿蔵から宍倉になったとか、「北毛(ぼっけ)の清水」とか面白い話が盛り沢山載っている。

また、菅谷氏との関係があるということで戦国時代に高野山信仰があったという記事も見つけました。
興味が湧きますね。



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出島散歩 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/04/12 21:04
コメント
信心
 空也はかすかに高校の歴史に出てきたかなという記憶しかありません。浄土信仰といえば法然・親鸞が有名ですが、空也は彼らより200年も前なんですね。平将門と同時代。
 歴史の授業を聞いてたころは、昔の非科学的な人間の所業ぐらいにしか思ってませんでしたが、人生の経験を積んで人の生涯を考えれば高校生の浅薄な思いであったものです。
 僧になる出家する側としては、学校の無い時代、知的に長じた人が学問をし満足できる身の置き場としては僧になる道だけだったのでしょう。
 その本人の思いとは無縁に、一般人は上人や大師の像や衣をも有難がるという‘信心’は、欧州でも聖遺物礼拝が広く行われているように人間共通の想いなのでしょうか。
  沢山の神社や寺や堂があって、何々の御利益は何処其処、と薬の処方のように振り分けのある「信仰」はどうやって出来たのかと考えます。なぜ神社と寺の両方があるのかなどを外人に説明するとき、自分がまず理解していないので出来ません。
Re: 信心
忠顕さま

茨城はいろいろなものがありますね。
筑波山はじめ徳一法師の建てた寺がたくさんあって驚かされます。
徳一は空也上人より更に150年位前ですね。

また意外に知られていませんが親鸞ゆかりの寺も多い。
信仰心が強いっということが言えるかどうかはわかりませんが、
この場所などはワケなどわからずらに信心しているのかもしれません。

少なくとも現在はほとんど無宗教です。

> 僧になる出家する側としては、学校の無い時代、知的に長じた人が学問をし満足できる身の置き場としては僧になる道だけだったのでしょう。

身分の結構高い人が僧侶となり布教して苦労していますね。唐へも渡って勉強していますね。
死ぬ確率も結構高かったでしょうに。

> 沢山の神社や寺や堂があって、何々の御利益は何処其処、と薬の処方のように振り分けのある「信仰」はどうやって出来たのかと考えます。なぜ神社と寺の両方があるのかなどを外人に説明するとき、自分がまず理解していないので出来ません。

日本の八百万の神様がいる国なんて他にはないでしょう。
それも神仏混合ですから分けがわかりません(笑)

でもイスラエルとアラブの対立などを見てみるとこんなに神様がいたほうが平和なのかもしれません。

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