出島散歩(36)
茨城県かすみがうら市の旧出島村(合併前は霞ヶ浦町)の埋もれた魅力を掘り起こそうと約2ヶ月に渡り紹介をしてきました。
この地区は明治後半からの鉄道の発達に伴う霞ヶ浦水運の衰退、及び車社会の発達によりどこかに置き忘れられてきたような地区でもあります。
一般の観光という面ではそれ程魅力のある地区ではないかもしれません。
しかし、そこを何気なく訪れて散策してみると、今では忘れられてしまった昔の人たちの生活が見えてくる場所ではないかと思えてきます。
ここを探索してみようと思ったきっかけは、平安時代やそれ以前の古東海道がこの出島地区を通っていたかもしれないとの思いでした。
しかし、その痕跡を見つけることはできませんでした。そしていまだ霧の中にあります。
でもこの地区を何気なく掘り起こしてみたら、これはとても素晴らしい内容が掘り起こされてきました。
まだまだ掘り起こしが足りないようでもありますが、こんな一見つまらなそうなところにたくさんの宝物が眠っています。
ということは、その他のところにも同じような宝物がいっぱいあるように思います。
私が掘り起こせるのはほんの少しばかりです。
皆さんももし興味がおありなら身近な場所を少し掘り起こしてみませんか?
何気なく掘り起こしてみると意外にも向こうから語りかけてきますよ。
最後に出島地区の関連地名入り地図を載せておきます。

地図を作成していて懐かしいところがたくさん思い浮かんできます。
かなり色々なところを掘り起こしてきたなと思います。
紹介できなかったところもたくさんありますが、これはまたの機会とします。
出島シリーズはここまでとします。
じっくりと振り返るとなにか見えてくるかもしれません。
時間が許すときにまた掘り起こせたらいいなと思います。
最後に歩崎観音に近い田伏地区の「鹿島神社」を紹介します。

田伏地区も霞ヶ浦大橋の近くに田伏城があった(現在の実伝寺裏山あたり)場所ですが、この鹿島神社は湖岸に近い場所にあります。
湖岸のそばの神社はこのように松が植えられている場合がほとんどです。

創建は承平7年(937)とされていますので、古くからあるのでしょうが、詳細は不明です。

神社の狛犬。堂々としていますね。
しかし、この神社には少し変わったものがあります。

太白(たいはく?)流の和算で解いた算問の解き方を額にして神社に奉納したもののようです。
日本の算数については江戸時代に盛んになり、関孝和が始めた関流がもっともよく知られています。
しかし、私には関流も太白流も違いがわかりません。
算数の難題が解けたことを感謝して神社に「算額」を絵馬と同様に奉納することは全国でおこなわれているそうです。
全国に975面の算額が現存している(『例題で知る日本の数学と算額』森北出版)そうですが、この出島地区でもこの和算を熱心に学んでいた人たちがいたことは今となっては驚きです。

神社の御神木でしょうか、古木(タブノキ?、スタジイ?)の根元には祠が置かれていました。
写真でもわかるようにこの場所は平地で、湖までとの間に田が広がります。
しかし、この神社ができた頃はきっとこの場所が湖に面していたのでしょう。
祭礼は10月28~30日で、当屋(とや)祭というお祭だそうです。
昔は盛大におこなわれていたようですが、最後の直会(飲食会)は中止となったようです。
昔は火を炊いてその周りで酒を飲んだのでしょうか。
最近は直会が行われているところでもみな公民館や集会所のようなところでやっていますね。
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この地区は明治後半からの鉄道の発達に伴う霞ヶ浦水運の衰退、及び車社会の発達によりどこかに置き忘れられてきたような地区でもあります。
一般の観光という面ではそれ程魅力のある地区ではないかもしれません。
しかし、そこを何気なく訪れて散策してみると、今では忘れられてしまった昔の人たちの生活が見えてくる場所ではないかと思えてきます。
ここを探索してみようと思ったきっかけは、平安時代やそれ以前の古東海道がこの出島地区を通っていたかもしれないとの思いでした。
しかし、その痕跡を見つけることはできませんでした。そしていまだ霧の中にあります。
でもこの地区を何気なく掘り起こしてみたら、これはとても素晴らしい内容が掘り起こされてきました。
まだまだ掘り起こしが足りないようでもありますが、こんな一見つまらなそうなところにたくさんの宝物が眠っています。
ということは、その他のところにも同じような宝物がいっぱいあるように思います。
私が掘り起こせるのはほんの少しばかりです。
皆さんももし興味がおありなら身近な場所を少し掘り起こしてみませんか?
何気なく掘り起こしてみると意外にも向こうから語りかけてきますよ。
最後に出島地区の関連地名入り地図を載せておきます。

地図を作成していて懐かしいところがたくさん思い浮かんできます。
かなり色々なところを掘り起こしてきたなと思います。
紹介できなかったところもたくさんありますが、これはまたの機会とします。
出島シリーズはここまでとします。
じっくりと振り返るとなにか見えてくるかもしれません。
時間が許すときにまた掘り起こせたらいいなと思います。
最後に歩崎観音に近い田伏地区の「鹿島神社」を紹介します。

田伏地区も霞ヶ浦大橋の近くに田伏城があった(現在の実伝寺裏山あたり)場所ですが、この鹿島神社は湖岸に近い場所にあります。
湖岸のそばの神社はこのように松が植えられている場合がほとんどです。

創建は承平7年(937)とされていますので、古くからあるのでしょうが、詳細は不明です。

神社の狛犬。堂々としていますね。
しかし、この神社には少し変わったものがあります。


太白(たいはく?)流の和算で解いた算問の解き方を額にして神社に奉納したもののようです。
日本の算数については江戸時代に盛んになり、関孝和が始めた関流がもっともよく知られています。
しかし、私には関流も太白流も違いがわかりません。
算数の難題が解けたことを感謝して神社に「算額」を絵馬と同様に奉納することは全国でおこなわれているそうです。
全国に975面の算額が現存している(『例題で知る日本の数学と算額』森北出版)そうですが、この出島地区でもこの和算を熱心に学んでいた人たちがいたことは今となっては驚きです。

神社の御神木でしょうか、古木(タブノキ?、スタジイ?)の根元には祠が置かれていました。
写真でもわかるようにこの場所は平地で、湖までとの間に田が広がります。
しかし、この神社ができた頃はきっとこの場所が湖に面していたのでしょう。
祭礼は10月28~30日で、当屋(とや)祭というお祭だそうです。
昔は盛大におこなわれていたようですが、最後の直会(飲食会)は中止となったようです。
昔は火を炊いてその周りで酒を飲んだのでしょうか。
最近は直会が行われているところでもみな公民館や集会所のようなところでやっていますね。


出島について驚嘆に値する掘り起こしをされて、普段見えないものを見せていただき感謝です。視野が広がったような気がします。
どう広がったか。出島は主要交通路から外れたためベッドタウンにもならず、そのため昔の日本の息吹が残っているのでしょうか、現代日本が忘れたというか存在すら思い至らない日本人の生活意識に思いあたるような気がします。現代は進歩があたりまえの世界です。経済的にも発展が正常な姿で、停滞やまして後退という現状は悪とさえ認識されるのが世の中です。個人もそういう社会で生きてくると仕事を辞めた後、生きる目標目的を失って悩んだりします。
しかし、昔は毎年の成長路線などということは考え及びもしない生活があったのだと思います。それは今では近代以前の何もない無知な人たちの価値のない生活として顧みられることもないでしょうか、こうして人々の思いや情念のこもった沢山の跡を見たとき、いまの上昇を目指すのを正とするのでない世界があったと思いを致すものです。
都会がいいとか田舎がいいとかの話ではなくて、時間の進み方についての認識の持ち方がひとつではない、それによって人生は変わるような・・・
その眼を啓いていただけたのが感謝でした。
身に余るお言葉感謝致します。
今回見て回ったところもどうというようなところではないと思ったのですが
意外に掘り起こしてみると面白かったです。
ガラパゴス諸島などとは全く別次元ですが、歴史とは何かを考えさせられました。
野仏があればそこで手入れやお祈りをする人がいて継続されて歴史となる。
石岡は本当はとても掘り起こしがいのあるところですが、おかしなところで
歴史が止まってしまいます。
歴史が古いことなどを自慢してもなんにもならないですね。
歴史を大切にするとはどんなことなのでしょうか。考えてしまいました。
> 現代日本が忘れたというか存在すら思い至らない日本人の生活意識に思いあたるような気がします。
> 個人もそういう社会で生きてくると仕事を辞めた後、生きる目標目的を失って悩んだりします。
そうですね。まあのんびりと楽しみながらまわりから掘り起こしていって、そのうち記録・記憶として何か残ってくれればいいですね。
でもこのような生活は私にはできませんので、自分の身の丈にあった範囲で、自分のできることをやっていくので良いと思っています。
コメントとても嬉しいです。