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東京スカイツリーと両国

 東京スカイツリーの一般公開も間近に迫ってきました。
こちらの常磐道から三郷ICを経て東京銀座方面に首都高6号線を通ることが何度かありますが、一旦荒川を渡る橋の上から見るスカイツリーはとても綺麗に見えます。

その先隅田川に沿って走りますので、向島の先浅草近辺では目の前にツリーはそびえて見えてきます。
この辺りでは少し近すぎてカメラでは撮りにくそうです。

もっとも高速道路での運転中には写真を撮ることは出来そうにありませんので写真はありません。
また東京駅行きの高速バスにもよく乗りますが、これも土曜日には浅草経由なので目の前にツリーを見上げることもできます。

(追記)本記事に写真がないとさみしいと思っていたら、写真を提供いただきました。忠顕さまありがとうございました。(下記写真はサムネルです。クリックで拡大します)

TS634.jpg

本写真は首都高速6号向島線の上りの向島出口手前です。
東京行きのバスはここ向島で高速を下りて浅草を経由します。その時は目の前にスカイツリーが見えます。
本写真はまだ建設中で最後の塔の部分はありません。(ここまで追記)

しかし、この東京スカイツリーの高さが634mでムサシ=武蔵国のことだということは各所で宣伝されていますので知られるようになりましたが、私も隅田川に架かる「言問橋(ことといばし)」「吾妻橋=業平橋」などの名前の由来はうっすらと知る程度でした。

押上線の「業平橋駅」が「東京スカイツリー駅」に改名されたのですが、業平の名前を消したくないと反対の抗議もあって、「東京スカイツリー駅 旧業平橋」と旧名も残すことになったそうです。

この辺の歴史を調べてみるととても興味深いことがたくさんあります。

ひとつは在原業平(ありわらのなりひら)が伊勢物語九段東下りで詠んだ

「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」

の短歌が基になっているわけですが、この歌そのものの意味はある程度ご存知の方も多いと思われますが、平安時代初期の西暦800年初頭に都(京都)から武蔵国にはるばるとやってきた心を思うとき、意味もわかってくるように思います。

さて私の興味は、この東下りで業平は下総国から武蔵国に舟で渡ったのか、その逆なのかということです。

伊勢物語には詳しく書かれていません。

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 なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河と言ふ。
その河のほとりに群れ居て思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかなとわびあへるに、渡し守、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。
さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、

  名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。(伊勢物語九段より)
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この九段で東下りで、この武蔵国までに間に駿河を通り富士山を眺めてやってきました。

九段のあとには入間や武蔵野がでてくるから武蔵の国に下総国から入ってのだろうと思います。

東京湾を船でわたって上総国(市原)から下総(市川)を通ってここで隅田川を渡って武蔵国に入ってのではないでしょうか。

しかし、徳川家康が江戸に幕府を築き、この隅田川(旧利根川の一部?)に架かる橋は千住より南には城の守りを固めるために架けさせなかったそうです。

しかし、1657年正月に起きた江戸市中の大火で逃げ場を失った人たちが多数(数万人)死亡(水死)したといわれています。
この大火で、江戸幕府はここに橋を架けることを決め、1年後の春に大橋が完成したのです。

最初は大橋と呼ばれていましたが、この橋が昔の下総国と武蔵国をつなぐ橋であったことから「両国橋」と呼ばれるようになったそうです。

そしてこの橋の名前から地名として「両国」が誕生しました。

両国といえば相撲と隅田川の花火大会ですが、この花火は享保18年(1733)に始まり、橋の上流側を「玉屋」、下流側を「鍵屋」が受け持つこととなっていました。

玉屋は1843年に一時断絶しますが、花火店として玉屋は残っていったようです。
花火の費用も大変なもので、当時の両国界隈の船宿などが多額の出費をしていたようで、相当に賑わっていたようです。

さて、もう一つ面白いことに、この都鳥ですが、今一般に名前の付いている都鳥とは違うようです。

「白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ」という姿は、都鳥ではなく「ユリカモメ」ではないかと言われています。

是非ムサシ(634m)を知ったのなら、この平安時代の東国のウラ悲しい風情や江戸時代の賑わい等も思い浮かべてみるのも良いでしょう。

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近況 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/05/06 16:42
コメント
No title
ROMAN様
現在仕事で両国の近所に行き来しております。

そちらと入れ替わりに本日石岡に墓参に行きました。駅前が歩行者天国になっており、結構人が
でていましたね。
筑波で竜巻が、というのは後で知ったのですが、
石岡も雷が聞こえたため、残念ながらそそくさと
引き上げました。
歌舞音曲屋台あり、ああして人の流れができ、
出会いが生まれれば少しずつでも活性化しそうな
気もしてきました。
行徳さん
こんばんは。

そうですか。こちらにもこられていたのですね

> そちらと入れ替わりに本日石岡に墓参に行きました。駅前が歩行者天国になっており、結構人が
> でていましたね。

そうです。1日駅前は歩行者天国で新鮮朝市とかをやっていたと思います。
横を素通りして行きましたが、人でもあったのですね。

次は七夕まつりの時でしょうか。いろいろイベントも良いのですが
今ひとつPR不足のようです。

> 筑波で竜巻が、というのは後で知ったのですが、
> 石岡も雷が聞こえたため、残念ながらそそくさと
> 引き上げました。
3時半くらいからヒョウが降り大風と大雨が30分くらいありましたが特に家が壊れるほどでは無かったです。
筑波の北条はすごいことになっていますね。
こんな竜巻が来たら大変です。つい2-3年前には土浦で被害がありました。

> 歌舞音曲屋台あり、ああして人の流れができ、
> 出会いが生まれれば少しずつでも活性化しそうな気もしてきました。

少しずつでも変わっていってくれるといいですね。

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