息栖神社(1)-東国三社
銚子に何度か用事があり車で行っていますが、途中の息栖大橋の近くを通るたびに一度行ってみたいと思っていました。
行ったのはもう連休前の4月末です。
鹿島神宮・香取神宮といういわば別格の神社があるわけですが、これにこの息栖神社を加えて東国三社と呼ばれています。
3つの神社を結ぶと直角三角形となるために、レイラインの心霊スポットとしても注目されている場所なのですが、これも息栖神社の位置を移動して故意に作られたものではないかとも思われます。
Flood MapによってGoogle地図に今より水位が3m高い時の地図にこの東国三社の位置関係を載せてみました。

地図に日川を載せているのは、この息栖神社が大同2年(806)にこの日川地区よりこの現在の地に移されたとされているからです。
以前「於岐部説神社(おきつせじんじゃ)」という行方市にあるこじんまりした神社を紹介しました(こちら)
この時に「於岐部説神社」という名前は、この息栖神社のことを一般には指すという話を書きました。
また於岐部説=おきつせ=沖洲であることも書きました。
利根川と常陸川が合流する少し手前の水門の少し上流に常陸川に架かる橋を息栖大橋といいます。
この橋を(千葉県川から)渡って次の信号を左(西)に曲がって少しいったところに息栖神社の森があります。

通りから少し入ったところに入口鳥居があります。
この神社はとても静寂な空気が漂っています。身が引き締まるようです。
この神社の場所が今では行くのが不便で訪れる人も少ないようですが、一度訪れてみたら良いと思います。
昔は霞ヶ浦水運が発達していた時は霞ヶ浦から利根川に物資を運ぶ要のような位置にもあり、信仰もかなりあったようです。

神社の境内も綺麗に掃き清められており、ひっそりとした雰囲気はさすがに東国三社の一つです。

歴史的には何度か建て直されているので建物としてはそれ程古いとは思われません。

4月末ですのでボタン桜と赤い神社の拝殿や鳥居が緑の中で美しさを引き立ててくれます。

上の説明看板は神栖町教育委員会が門の入口に掲げたものです。
日川から移されたことが書かれています。
また昭和35年の火事で社殿を新築したことが記されています。

こちらは神社側が拝殿近くに掲げた説明看板です。
少し教育委員会のものとはニュアンスが違いますね。
それぞれじっくり読むととても面白そうですので、そのまま写真で掲載しました。

本殿です。やはりかなり新しそうです。

境内に置かれていた昔の「礎石」です。
一緒に書かれていた説明文を載せておきます。
「息栖神社の御本殿は平城天皇の御代(大同二年四月十三日)806、奈良時代に此の地に遷宮されました。以来、貞観八年一月(876)、宝永三年(1704)、享保八年(1723)、弘化四年(1848)と、数回に及ぶ立替えがありました。此の五個の石はそのいずれの時かに礎石として使用されて以来、昭和35年迄その務めを果たしました。」
少し面白い書き方ですね。学術的には調べれば年代は分かりそうですが、ともかく礎石のお役目ごくろうさまでしたというところでしょうか。
またあすに続きます。
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行ったのはもう連休前の4月末です。
鹿島神宮・香取神宮といういわば別格の神社があるわけですが、これにこの息栖神社を加えて東国三社と呼ばれています。
3つの神社を結ぶと直角三角形となるために、レイラインの心霊スポットとしても注目されている場所なのですが、これも息栖神社の位置を移動して故意に作られたものではないかとも思われます。
Flood MapによってGoogle地図に今より水位が3m高い時の地図にこの東国三社の位置関係を載せてみました。

地図に日川を載せているのは、この息栖神社が大同2年(806)にこの日川地区よりこの現在の地に移されたとされているからです。
以前「於岐部説神社(おきつせじんじゃ)」という行方市にあるこじんまりした神社を紹介しました(こちら)
この時に「於岐部説神社」という名前は、この息栖神社のことを一般には指すという話を書きました。
また於岐部説=おきつせ=沖洲であることも書きました。
利根川と常陸川が合流する少し手前の水門の少し上流に常陸川に架かる橋を息栖大橋といいます。
この橋を(千葉県川から)渡って次の信号を左(西)に曲がって少しいったところに息栖神社の森があります。

通りから少し入ったところに入口鳥居があります。
この神社はとても静寂な空気が漂っています。身が引き締まるようです。
この神社の場所が今では行くのが不便で訪れる人も少ないようですが、一度訪れてみたら良いと思います。
昔は霞ヶ浦水運が発達していた時は霞ヶ浦から利根川に物資を運ぶ要のような位置にもあり、信仰もかなりあったようです。

神社の境内も綺麗に掃き清められており、ひっそりとした雰囲気はさすがに東国三社の一つです。

歴史的には何度か建て直されているので建物としてはそれ程古いとは思われません。

4月末ですのでボタン桜と赤い神社の拝殿や鳥居が緑の中で美しさを引き立ててくれます。

上の説明看板は神栖町教育委員会が門の入口に掲げたものです。
日川から移されたことが書かれています。
また昭和35年の火事で社殿を新築したことが記されています。

こちらは神社側が拝殿近くに掲げた説明看板です。
少し教育委員会のものとはニュアンスが違いますね。
それぞれじっくり読むととても面白そうですので、そのまま写真で掲載しました。

本殿です。やはりかなり新しそうです。

境内に置かれていた昔の「礎石」です。
一緒に書かれていた説明文を載せておきます。
「息栖神社の御本殿は平城天皇の御代(大同二年四月十三日)806、奈良時代に此の地に遷宮されました。以来、貞観八年一月(876)、宝永三年(1704)、享保八年(1723)、弘化四年(1848)と、数回に及ぶ立替えがありました。此の五個の石はそのいずれの時かに礎石として使用されて以来、昭和35年迄その務めを果たしました。」
少し面白い書き方ですね。学術的には調べれば年代は分かりそうですが、ともかく礎石のお役目ごくろうさまでしたというところでしょうか。
またあすに続きます。


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