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女化青年研修所-徳島の開拓者たち

 女化神社とその奥の院の紹介をしていて、ある事実に気がついてその跡を見に行ってきました。

女化青年研修所という建物です。

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上の写真で左側の道路は県道48号線の旧道です。新しい48号線はこの写真の右側少し離れたところに広い綺麗な道路が完成しています。

正面の黄色い建物が「女化区民会館」という綺麗な建物があり、その右手(西側)に隣接して「女化青年研修所」があります。

昨日紹介した「女化神社奥の院」はこの黄色の建物のところを逆に左手に入ってすぐです。

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昔は、ここのあたりは女化ヶ原という荒涼とした草原地帯で、明治に陸軍の実弾発泡訓練が行われた場所でもあります。

また、明治11年(1878)に大規模農場経営の津田農場の第七農場として開発が始まったが、経営は破綻し、土地は日本全国からの入植者に払い下げられたといいます。

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そんな中、この女化の地に徳島から47名の開拓者が入りました。
元々作物が育たない不毛の地というところへやってきた開拓者たちがこの地を開拓していったのです。
女化神社の奥の院にあった石柱はこの開拓者たちが立てたものだといいます。

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開拓の中心人物が杉本民蔵という人物で、この地に読み書きのできる学校を立てたいと、明治24年(1891)に「化成学館」という学校を建てて、近所の子供たちに読み書きソロバンを教えました。
校長1名、先生1名の学校だったそうです。

でもキリスト教の教えを説いていたので反発され、学校は2年後に廃止されてしまったそうです。
しかし、杉本は諦めずに寄付を集めて私立の尋常小学校を建てました。
国の尋常小学校まで4kmほど離れていたのだそうです。

その後明治40年(1907)にこの学校が正式に国の小学校の分校となり今から40年くらい前まで続いてきたといいます。
女化の人たちの努力で松の木を植えたり、校舎を直したりしてきたといいます。

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当時は茅葺き屋根の校舎だったようですが、昭和12年にこの写真の様な校舎になったといいます。

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昭和47年に学校は閉校となり、その後この分教場の建物を青年研修所として残し、今も使われているのです。

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研修所の内部。どこか懐かしい匂いがします。

不毛の地などと言われたこの女化で、今は落花生が名物のようです。

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新しい県道48号線沿いにできた「楽花亭」というお蕎麦屋さんと落花生専門店「いしじま」さん。

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広い駐車場を持ち大きな落花生のモニュメントが目印になっています。

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そして、すぐ裏の旧道側には「石島商店」さんの大きな落花生工場があります。

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筑波・土浦・牛久地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/05/20 17:20
コメント
No title
こんばんは

落花生のモニュメント~
ホント 目立ってますねー
とても 面白いです^^

関東方面は行くことが無いので
とても新鮮です。
x都人xさん
こんばんは。

コメント嬉しいです。

> 落花生のモニュメント~
> ホント 目立ってますねー
> とても 面白いです^^

本当に大きいですよ。
目立てばいいってものでもないけど千葉と並んで茨城も落花生は特産です。

> 関東方面は行くことが無いのでとても新鮮です。

この辺はあまり近くの人も知らないエリアです。
ですから紹介しがいがありますね(笑)
ここのお蕎麦も美味しいらしいですが、食べてないので紹介できませんでした。

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