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忠犬タローの歌を聞いて

今日文化の日はスッキリと晴れて気持ちの良い一日となりました。
各地で文化祭などが行われました。ここ石岡でもあちらこちらで各種の行事が行われます。
商工祭はイベント広場で今度の週末。
今日はあるブログを見つけて、市民会館で行われた第41回市民合唱祭に顔を出してきました。
お目当ては地元幼稚園(善隣幼稚園)園児たちの「ここで君を待っているよ」の合唱を聞くためでした。
石岡駅で17年間主を待ち続けた「忠犬タロー」の話しを聞いて、坂本九さんの長女大島花子さんが作詞・作曲してくれたとても素敵な歌でした。
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渋谷駅の「忠犬ハチ公」に似た感動のエピソードがありました。
テレビや新聞でもいくつか紹介されて話題ともなっているようですから、詳しく知りたい方はネットで検索してみてくださいね。
タロー(元の名前コロ)が当時(45年ほど前)電車(今は廃線となった鹿島鉄道)で通っていた飼い主(当時5歳の善隣幼稚園児)と一緒に電車で石岡まできてしまい、そしてはぐれてしまって以来、石岡東小の子供たちに可愛がられて育てられました。
それから死ぬまでの17年間、学校から石岡駅まで朝と晩に通っては、駅で飼い主を待っていたといわれています。
taro02.jpg
(写真は東小の入口にある卒業生の制作したもののようです。校舎は現在裏に新築のすてきな校舎に建て替え中でした)
石岡東小はジャスコの6号国道をはさんで反対側にあります。
通りは車が多くうるさいようですが、学校は周りは住宅街で静かな場所です。
ここから駅までは、学校を出るとすぐに6号国道を跨ぐ歩道橋があります。この歩道橋をいつも渡っていたといいます。駅までの距離を測ってみましたが約2.5kmと結構遠いです。
飼い主の少女が通っていた幼稚園は駅の近くの市街にあるので学校とは反対側ですね。
この話も、飼い主は卒園してからこちらの方に来る機会も少なくなり探したそうですがわからなくなってしまったといいます。
それが昨年の新聞記事で名乗り出たといいます。
このような話もまだ石岡にも活気があった時代ですが、語り継がれていくといいですね。


地域振興 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2010/11/03 16:25
コメント
なんということでしょう
ハートのぽっけのエプロン。40ン年下の後輩達。
リンク先の今泉さんのブログでこれまた昭和30年代の同園の写真が。F先生やO先生の写真が、、。
涙出てしまいました。
今泉さん多分私の同級生のお兄さんです。
東小のワンコの話はテレビで見ました。私の小学生~高校時代のことかと驚きました。知らぬ間にワンコ見ていたかもしれません。あのころは商店街に何頭か勝手に散歩していた子達がいました。
見慣れた住犬として街の風景の一部でした。
おととい貴ブログにたどりちついて今日は善隣幼稚園、びっくりの連続です。
思いつきのほうは別便で。
幼稚園
コメントありがとうございます。今泉さんのブログの方の書き込みを見て、本幼稚園の卒園であることを知りました。当時に比べると人数も少なくなっているようですが特徴のある幼稚園のようですね。一度横から眺めさせていただいたことがあります。全国に同じ名前のキリスト教の幼稚園としていくつかあるようですね。
私も横浜の高風保育園というキリスト教の保育園に1年通いました。
善隣幼稚園
園長先生と最後にお会いしたのが中学の頃でしたでしょうか。その頃おっしゃっていたのが、走り回って遊べ、と言うのが方針で、その為に芝生を敷き、潅木を上、裸足で園庭に出し、木登りをさせた。
バス通園を実施していましたし、帰宅時には廊下に並んで肝油をもらっていました。週一日だったか。
当時としてはいわゆる開明的と言う感じだったと思います。芋ほりにつれていってもらった記憶もあります。
私は虚弱児で、男の子の遊びについて行けないこともままあり、女の子と遊んでいることも多かったです。そのうちの幾人かは高校まで一緒でした。懐かしい限りです。
善隣幼稚園
慌しい日帰りでありましたが、幼稚園の写真展に行ってまいりました。
今泉園長、そしてF先生とおあいすることができました。
F先生40年以上のご無沙汰でしたが、私を覚えてくださっていて、
あのジャングルジムの子供達ひとりひとりを覚えていらっしゃいました。
あのなかに私もいました。なんとも感激です。
駆け足で墓参り、朝日屋、荻野、実家とこなしセンチメンタルジャーニー
終了です。
快晴の空がなんとはなしもの悲しかったです。
40数年、、、。
それでは。



Re: 善隣幼稚園
少し遠くてもやはり懐かしい古里ですね。こちらのブログがきっかけで写真展を知り、昔の先生におめにかかれたとのこと。本当に良かったですね。
それにしても幼稚園時代を良く覚えていますね。
私などはもうほとんど記憶にありません。
これも小学1年の終わりに横浜から東京郊外に引っ越してきたため、昔の友達はおりません。
私のいた会社も全国各地の県人会がありますが、中学を卒業した時にその地にいなければ仲間とは認めてもらえないような雰囲気でした。
古里がないのかな・・・。 もっとも何処がふるさとかと聞かれても困りますが。
いまはここ石岡が古里になりそうです。
これからもよろしくお願いします。
記憶
有難う御座います。
記憶とは不思議なものです。F先生の写真から一気に湧き上がってきました。
私の母はいわゆるよそ者で、私が幼少の頃より、色々嫌な思いもあり愚痴を聞いておりました。
私も母や母の親戚の影響でイントネーションが他の子と違って居ましたので、苛められることも度々で、
物心ついた頃より、石岡を出たいと言う思いがあったのです。
現にそのような人生を送り、記憶はどんどん封印されていたのですが、今回の出来事で封印が解けたとい
うような有様です。
さすがに幼稚園、まして、F先生に関して悪い思い出は一つもないのですから。
実は先週も石岡で8月以来たびたび帰っています。
駅に降り立つたびに石岡の空気の臭いが分ります。行徳は潮の香がしますのでなおさらに分かります。
聖書に放蕩息子の帰郷というエピソードがあったと思いますが、そういう心持です。
会場で見た写真の中に、かつて毎日お祈りをしたJesus様の肖像がありました。
そうそう、F先生が今飼っているワンコがタロー君だそうです。そのお話をされたので、F先生では?
と気づきました。先生も1964年の出来事の記憶を生きていらっしゃいます。素敵です。

それでは おやすみなさい。

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