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岡見氏と牛久城

 牛久(正確には龍ケ崎市)の女化神社を見た帰り、県道48号線を土浦に向けて北上しました。
女化神社のところも綺麗なバイパス道路が出来ていて、その先もまた二股に分けれ、西側の旧道を圏央道の「牛久阿見インター」方面に向かいました。

途中で「つくば」と成田をむすぶ県道408号線と交わる交差点は「岡見」と書かれていました。
このような人の名前と思える地名で少し調べてみました。

するとこの交差点の近くに「岡見城跡」と地図に書かれています。
交差点のまわりが大きな竹林がところどころにあってどこか不思議な雰囲気の場所です。

牛久の人はきっと「岡見」という地名はおなじみかもしれませんが、近隣まで知られた名前ではありません。

岡見

調べてみると、岡見氏は出生はあまりはっきりしていない。
小田治久の二男がここに居を構えたという説が強いようです。

そして天文年間(1550年頃)に牛久沼の北方に牛久城を築いてこの一帯を支配したといいます。

私には戦国武将もあまりよくわかりませんが、この城があったのは県道48号線の横。
牛久城は現在の6号国道近くで、江戸時代前までは佐竹街道といい常陸太田までつながっていました。

問題なのはこの当時は我孫子から利根川を東に行き「布佐」=総(麻のこと)から川を利根町の布川の方に渡って北上していました。

牛久沼付近は洪水が多く、道はいくつかあったようです。

地図を見て気になるのは、現在の県道48号線(龍ケ崎から土浦へ行く道)はきっと室町時代前の古東海道の一つかもしれないと思ったのです。

奈良時代にはもっと東寄りの道を通っており、前に書いたように美浦村牛込から出島(かすみがうら氏)の牛渡へ渡っていたようです。

きっとこの48号線もかなり重要な時期があったように思います。

今では車もすれ違うのに苦労しそうなところもある狭い道です。

でも土浦でも広いバイパス道が出来、旧道は本当に忘れ去られようとしています。

私の知っている年月でもこれだけ変わるのですから、昔の100年単位ではきっとわからなくなってしまうのも無理ないのかもしれません。

この岡見の信号近くに「八坂神社」がありました。

okami03.jpg

八坂神社とありますが、間に「八幡・剣」とはいっています。
3つの神社が合祀された神社ということのようです。

okami01.jpg

市の指定の古木などの説明がありますが、この神社にこの岡見氏についての由緒が書かれていました。

okami02.jpg
(サムネルです。読みたい時はクリックして見てください)

あまりよく読めず、とりあえず写真をUPしました。

どうやら岡見=尾上からきたようですね。

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古東海道 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/05/26 19:20
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