四つの佐志能神社(1)
石岡市の龍神山の中腹と麓に佐志能(さしのう)神社という古い神社があります。
石岡の方はよくご存知のようですが、二つの佐志能神社として歴史的にも話題となることがよくあります。
歴史の好きな方の興味も多いようですが、その説明をこんなブログで展開するつもりもありません。
今回はこの二箇所を含め、四箇所の佐志能神社があることを紹介したいと思います。

石岡市の龍神山の麓に2箇所。そして旧八郷の柿岡の近くに1箇所。
それと笠間の昔の城跡の山の上にあります。
皆山の中腹や上にあるので山の神を祀っている神社を呼ぶのだと思っていましたが、これは少しちがいそうです。
一つづつ見ていきながら何か感じたりわかってくることもあるかもしれません。
まず石岡の龍神山の中腹にある佐志能神社を先日久しぶりに訪れましたので紹介します。
「染谷佐志能神社」と言われるところです。

風土記の丘公園から少し行ったところにあります。
もう訪れたのは1ヶ月くらい前です。
記事が遅れてしまいましたが、何を書いて良いか迷ってしまっていました。
そう、何か書いてやろうなんて少し肩に力が入ってしまって書けませんでした。
わからないので、ともかくそのまま感じたことを載せておくだけで良いと思い直したのです。
風土記の丘の方からは参道の桜並木を進むと、山への登り口に鳥居が立っています。

入口に置かれた説明版です。
もう一つの村上佐志能神社は明日紹介しますが、二つは元々は一つだったのが、祀っていた村が二つに分かれたので神社も二つ別々になったようです。
そして共に雨乞いの龍神を祀っています。こちらの染谷は高靇(おかみ)神(雌龍)、村上が闇靇(おかみ)神(雄龍)を祀っています。
「おかみ:靇」という字は雨かんむりに龍です。
創建ははっきりしていませんがかなり古いことは確かで、こちらの社殿は文久二年(1862)に消失したと言われています。
こちらの神社に伝わる染谷十二座神楽は石岡市の有形民族文化財ですが、毎年9月の石岡のおまつりの時にも中日に総社宮でも披露されます。
なかなか面白いものだと思います。
地元の小学生が毎年巫女役に選ばれますが、とても可愛らしいです。(ブログでも前に紹介しました)

こちらの手水に水は山から湧き出す水を引いていたはずなのですが、水がほとんど流れていません。
雨乞いの山がいまは削られて泣いています。
特に村上・染谷地区の地下は硬い岩盤で緯度を掘るのも大変だったようです。
この山がもたらした水は古くから枯れることもなく人々の生活を潤してきました。
この水の元を止めてしまっては石岡は枯れてしまったような気になります。
この水が柏原池に流れ、山王川となって霞ヶ浦に注いでいたのでしょう。

一の鳥居からしばらく山道を進んだところに二の鳥居があります。
ここから石段で急坂になります。

階段を上ると、そこに岸壁にしがみつくように神社の拝殿と本殿があります。
この岩は屏風岩といわれる岩肌ですが、しめ縄も張られ岩が信仰の対象です。

この岩場の踊り場となったその向こうに、昔来た時にもう一つ舞台のような建物があったはずなのですが今はなくなっていました。
石段の途中の木も根が掘り起こされたように倒れたものもありました。
地震の影響でしょうか。


岩盤の途中に「滝水路」という石碑が置かれていました。
昭和27年に置かれたもののようですが、当然ここには滝のように水が流れていたように思います。
今は水はありません。

上の写真は、手前が本殿で、奥(右手)が拝殿です。
本殿はスレートの建屋で囲まれてしまって中を見ることができません。
きっと龍の彫刻等が施されているのではないかと思います。
← よろしければクリックお願いします。
石岡の方はよくご存知のようですが、二つの佐志能神社として歴史的にも話題となることがよくあります。
歴史の好きな方の興味も多いようですが、その説明をこんなブログで展開するつもりもありません。
今回はこの二箇所を含め、四箇所の佐志能神社があることを紹介したいと思います。

石岡市の龍神山の麓に2箇所。そして旧八郷の柿岡の近くに1箇所。
それと笠間の昔の城跡の山の上にあります。
皆山の中腹や上にあるので山の神を祀っている神社を呼ぶのだと思っていましたが、これは少しちがいそうです。
一つづつ見ていきながら何か感じたりわかってくることもあるかもしれません。
まず石岡の龍神山の中腹にある佐志能神社を先日久しぶりに訪れましたので紹介します。
「染谷佐志能神社」と言われるところです。

風土記の丘公園から少し行ったところにあります。
もう訪れたのは1ヶ月くらい前です。
記事が遅れてしまいましたが、何を書いて良いか迷ってしまっていました。
そう、何か書いてやろうなんて少し肩に力が入ってしまって書けませんでした。
わからないので、ともかくそのまま感じたことを載せておくだけで良いと思い直したのです。
風土記の丘の方からは参道の桜並木を進むと、山への登り口に鳥居が立っています。

入口に置かれた説明版です。
もう一つの村上佐志能神社は明日紹介しますが、二つは元々は一つだったのが、祀っていた村が二つに分かれたので神社も二つ別々になったようです。
そして共に雨乞いの龍神を祀っています。こちらの染谷は高靇(おかみ)神(雌龍)、村上が闇靇(おかみ)神(雄龍)を祀っています。
「おかみ:靇」という字は雨かんむりに龍です。
創建ははっきりしていませんがかなり古いことは確かで、こちらの社殿は文久二年(1862)に消失したと言われています。
こちらの神社に伝わる染谷十二座神楽は石岡市の有形民族文化財ですが、毎年9月の石岡のおまつりの時にも中日に総社宮でも披露されます。
なかなか面白いものだと思います。
地元の小学生が毎年巫女役に選ばれますが、とても可愛らしいです。(ブログでも前に紹介しました)

こちらの手水に水は山から湧き出す水を引いていたはずなのですが、水がほとんど流れていません。
雨乞いの山がいまは削られて泣いています。
特に村上・染谷地区の地下は硬い岩盤で緯度を掘るのも大変だったようです。
この山がもたらした水は古くから枯れることもなく人々の生活を潤してきました。
この水の元を止めてしまっては石岡は枯れてしまったような気になります。
この水が柏原池に流れ、山王川となって霞ヶ浦に注いでいたのでしょう。

一の鳥居からしばらく山道を進んだところに二の鳥居があります。
ここから石段で急坂になります。

階段を上ると、そこに岸壁にしがみつくように神社の拝殿と本殿があります。
この岩は屏風岩といわれる岩肌ですが、しめ縄も張られ岩が信仰の対象です。

この岩場の踊り場となったその向こうに、昔来た時にもう一つ舞台のような建物があったはずなのですが今はなくなっていました。
石段の途中の木も根が掘り起こされたように倒れたものもありました。
地震の影響でしょうか。


岩盤の途中に「滝水路」という石碑が置かれていました。
昭和27年に置かれたもののようですが、当然ここには滝のように水が流れていたように思います。
今は水はありません。

上の写真は、手前が本殿で、奥(右手)が拝殿です。
本殿はスレートの建屋で囲まれてしまって中を見ることができません。
きっと龍の彫刻等が施されているのではないかと思います。


茨城県内は、同じ名前の寺院や神社があちこちに存在していて紛らわしいことが多いですね。
佐志能神社、笠間城址にあるということはごくごく最近、知ったのですが石岡にもあったんですね。
いづれの佐志能神社も訪れたことはありませんっが、共通するのはみんな山頂にあるということですね!
こちらも登ってみたい気がします(*^_^*)
> 佐志能神社、笠間城址にあるということはごくごく最近、知ったのですが石岡にもあったんですね。
> いづれの佐志能神社も訪れたことはありませんっが、共通するのはみんな山頂にあるということですね!
> こちらも登ってみたい気がします(*^_^*)
そうなんです。でも山頂は笠間だけ。あとは中腹や麓です。
またこれも書きたいと思っているのですが、笠間と石岡に繋がりがあると思っています。
でもはっきりしないのでそんな気がするという程度なんですが・・・。
難しいですね。あまり考えてもわからない大昔のことですから・・・。
屏風岩のお写真 とっても素晴らしいですね♪
お写真から御神気が流れてくる気がしました。
実物を拝見して見たくなりました。
僕の拙いブログに訪問とコメントをありがとうございます。嬉しかったです☆
> 屏風岩のお写真 とっても素晴らしいですね♪
> お写真から御神気が流れてくる気がしました。
> 実物を拝見して見たくなりました。
まああまりなの知れないところばかりを書いていますので、またちがった昔の庶民の
生活が見えたりします。
お近くにきっと似たようなところがあるでしょうね。
貴ブログとても参考になります。
またこれからもよろしくお願いします。