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天聖寺跡1(旧小川町)

 昨日旧小川町の街並みの一部を紹介しましたが、その通りを少し先に行った先に醤油の工場「幡谷本店」があったのですが、見落としました。
しかし、同じ通りに旧小川町の歴史のいったんを知る貴重な場所がありました。

私が知る旧小川町のイメージは自衛隊の百里基地(現在では茨城空港併設)のある場所で、中世の園部城があったくらいで、石岡と小川を結ぶ小川街道沿いには飲食店や飲み屋さんも多いところだというくらいでした。

しかし、偶然見つけたこの場所で、私の頭から欠落していた歴史が見えてきたのです。

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古い家並みの間に狭い路地があり、入口に「天聖寺斎場表参道」と書かれた石柱が立っています。

なに! 斎場ということは・・・・

普通なら入らないところですが、その先の石段脇にたくさんの石板や石仏が見えますので、恐る恐る中に入ってみました。

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何やら、上り階段(ここは寺の参道?)の脇には古めかしい石碑や仏像などが所狭しと並んでいます。

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そして、階段の登り口には禅寺で前に見かけたのと同じ「不許葷酒入山門」の文字が読めます。
これは前に古渡(ふっと)の興善寺や出島の田伏の実伝寺の山門にあったものと同じです。

「葷酒(くんしゅ)(ニンニクなどのくさい匂いをさせた者や酒を飲んでいる者)はこの山門から先に入ることを許さない」という意味でしたね。
何度か勉強したので覚えています。

昔はここに山門があったのでしょう。

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ここから先の石段の両脇にはこのような石仏に混ざってたくさんの石板が並んでいます。
これは墓石なのか、塔婆のようなものなのかはわかりませんが、あまり写真におさめるものではないかもしれません。

嫌いな方は無視くださいね。

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右側も同じです。

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この参道脇にずうっと続いています。

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何か不気味でもありますが、こんな光景は見たことありません。

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これは庚申像(青面金剛と三猿)ですね。やっと覚えました。

よく見るとあちこちにあるんですね。

階段を上った先に、この場所にあった「天聖寺」のことが書かれていました。

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説明の内容を理解するのに少し時間がかかりましたが、小川町の江戸時代から明治はじめまでの歴史の一端が見えたように思えました。

わかりにくく書かれているので要約してみると、

「この寺の開祖は水戸の祇園寺の第三世和尚である蘭山和尚が宝永4年(1707)に水戸義公(光圀)の取りなしで、88歳の高齢でこの場所に移ってきたのが始まりだという。

この蘭山和尚は元々は京都の名僧であったが、江戸に出てきた時に水戸光圀に認められて、僧籍のままで光圀の大日本史編纂を助けていたそうです。

そして、それから30石以上の寺領を与えられ、禅寺として14世に渡って発展を遂げてきたといいます。

しかし、幕末の天狗騒動で天狗党の棲家となってその後荒廃してしまい火災が起こって廃寺になったのだそうです。」

しかし、今となっては墓地のみとなってしまった天聖寺の跡地を近くに来たら行ってみませんか?

まあそれほど嫌いではない方のみにおすすめします。

あすへ記事は続きます。


小川地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/06/02 18:48
コメント
No title
こういう雰囲気は
自分は結構好きかもしれないです。
ちょっとひんやりしてますよね。
テンスタさん
こんにちは。

> こういう雰囲気は自分は結構好きかもしれないです。

あっ ありがとう。
嫌われそうだと思ったので結構嬉しいです。

> ちょっとひんやりしてますよね。
夏の暑い時にはいいかもしれませんが、でも夜はダメです。


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