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天聖寺跡2-天妃(海洋の女神)

 昨日の続きです。

今日は旧小川町の天聖寺に伝わる「天妃尊」像についての話です。

調べていったわけではないので、偶然見かけたものなのですが、とても興味が湧きました。

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石段を登った上にこのような小さな石の保管庫が置かれています。

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扉は開いておりませんが、説明板が置かれていました。「天妃尊」と書かれています。

この短い説明文だけでは内容がよくわかりません。調べてみる必要がありそうです。

tenshouji10.jpg

この天妃は中国の海洋航海の女神だそうで、いまでも台湾にはたくさん信仰があるそうです。

参考資料:「日本における天妃信仰の展開とその歴史地理学的側面

これによれば、天妃は媽祖(まそ)という道教の女神と同一で、中国の福建省に10世紀に実在した娘(黙娘)が神通力を得て奇跡をおこしたことなどから信仰の対象となっていったようです。

これが日本にも伝わり、ヤマトタケルの東征時に東京湾で入水して波を沈めたという弟橘姫伝説と一体となって信仰の対象となっていったということのようです。

この小美玉市の天聖寺に伝わったのは、江戸前期に清より伝わり、水戸義公(光圀)によって水戸の祇園寺に祀られ、その後その像を模して北茨城の弟橘神社、大洗の弟橘比売神社(天妃神社)、とここ小川の天聖寺に像が置かれたようです。

また、日本の信仰と一体となって神道の信仰に取り入れられていったようです。

神道を裏付けるようにこの寺の墓には次のような墓石がたくさんありました。

tenshouji14.jpg

神道の墓には、仏教の戒名に当たるような決まりがあり、翁は老人男子、刀自(とじ)は老年女子のことだそうです。

たくさんの墓にこの文字が書かれていました。

調べた時に参考とさせていただいた前述の論文は関西大学のものですが、この中にこれらの寺などが置かれている場所の位置と海岸までの距離を地図でみて判定したところがありましたが、残念ながら現在の地図で判定したのではこの小美玉市の寺はきっと理解できないようです。

海岸(霞ヶ浦湖岸)まで2KM以上離れているとなっています。
でもこれは前にも書いたとおり、この園部川の河口付近が昔は大きな入江になっていたと思われるのです。

また、この小川が江戸時代の水戸と江戸を結ぶ海洋ルートの重要な港になっていたということを忘れてはいけないようです。

そのために水戸藩がこの小川の地を治めたのでしょう。

水戸藩とのつながりが強かったものと思われます。

江戸との物資運搬は、外洋航路が安定して行えるまでは、水戸から船で那珂湊より涸沼に入り、その先で陸でこの小川または鉾田に荷を運び、そこでまた船に載せ霞ヶ浦水運で利根川経由で江戸に運んでいたようです。

長い間、このルートが発達していたのですが、明治中頃に開通した鉄道に押され、この小川町は鉄道からも離れてしまいました。

やっとできた鹿島鉄道はこの小川の駅は「常陸小川駅」という名前で、設置されたのは隣町の玉里村でした。
この時にも、小川は水運の湊の意識が強く、駅は隣町になったとも言われているようです。

この鹿島鉄道も今はありません。

しかし、幡谷町長の時に大変な反対運動もあったようですが、自衛隊の百里基地を誘致して財政は大分助かったようです。

この幡谷仙三郎氏の碑が茨城空港のファントム展示場のすぐ近くに昨年秋に作られています。

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小川地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/06/03 17:23
コメント
水神の天后
お久しぶりでございます。
Roman先生、お元気でいらっしゃいますか。
月琴です。

陰陽道「十二神将」の水神の天后についてさまざま調べておりましたら、偶然にも此方に行き着いてしまいました。
また、いろいろと勉強させて頂きました。
ありがとうございました。
月琴一代さま
こんにちは。
頑張っておられますね。

ところで先生は止めてね。えらくないから・・・・

> 陰陽道「十二神将」の水神の天后についてさまざま調べておりましたら、偶然にも此方に行き着いてしまいました。

こちらも知らないことばかり。天后と天妃は同じなのですね。
ネット検索でいろいろなところで自分の記事を見つけます。
たくさん書いているとこうしてまたつながってくるのも楽しみです。

情報ありがとうございます。

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