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飯沼城跡(茨城町)

 昨日紹介した「福性寺」の入口前の通りの反対側に小山があり、飯沼城跡と書かれています。

あまり聞いたことのない中世の城の名前だ。

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茨城町史跡となっています。入口はきれいに整備されています。
中世の城跡はあまり整備されていないところがほとんどですからここはきれいです。

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階段を上ると、上は公園風な台地になっており、真ん中に説明看板が置かれていました。
書かれたものが少し読みにくいのでここに転載します。

「飯沼城は、通称飯沼館あるいは桜井氏の館跡とも呼ばれている。戦国時代ころには、図のように三つの郭があったが、現在は本丸だけが、当時のようすを伝えている。
 広さは約五十メートル四方で、郭の周囲や、その外側にも土塁がめぐらされていた。
東北の邦楽(鬼門)にある鹿島神社は、城の鎮護のために祀られ、また下門(げもん)の地名は、南側の城域を示していると思われる。
 城域などから発見された三筋壺(さんきんこ 平安時代)や五輪塔(南北朝~室町時代初期)などから、福性寺との密接なつながりが想像される。
福性寺の記録によると、南北朝時代には南朝方に属し、また戦国時代の城主として桜園氏の名が記されている。
文明年間(1500年頃)には江戸氏の影響下に入り、天正十八年(1590)佐竹氏に滅ぼされた。
   茨城町教育委員会」

少し歴史を知りたい人には物足りない書き方ですね。

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この図は上記の説明看板に書かれていた図です。三つの郭の内、北側(左側)は現在小学校があります。
また南側(右側)には福性寺の墓地があります。

残っているのは真ん中の本丸部分ですが、高さが約5mくらいの台地です。
この真ん中近くに(看板の後ろ)に木で囲まれた一角があり下の写真のように祀られた場所があります。

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現地に「大日様」と書かれています。現地の説明文を載せます。

「大日様(だいにちさま) 密教の本尊である「大日如来」を、一般に大日様と読んでいる。もとは北の郭にあったが、川根小学校敷地造成に伴い、現在地に移された。  茨城町教育委員会」

小学校のグランドの整備拡張のためこちらに持って祀っているようです。

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水戸・茨城・ひたちなか | コメント(0) | トラックバック(1) | 2012/06/06 19:20
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 昨日紹介した「福性寺」の入口前の通りの反対側に小山があり、飯沼城跡と書かれています。あまり聞いたことのない中世の城の名前だ。茨城町史跡となっています。入口はきれいに整備されています。中世の城跡はあまり整備されていないところがほとんどですからここはきれ...