四つの佐志能神社(3)
石岡市の龍神山にある二つの佐志能(さしのう)神社を簡単に紹介してきましたが、歴史的な経緯は少し置いておいて石岡市の合併した旧八郷町の中心部柿岡の近くにあるもう一つの佐志能神社を紹介しましょう。
説明を書こうと思ったが時間もなく、説明が偏りそうなので敢えて、現地の写真等をそのまま載せます。

佐志能神社は山の中腹にあり、丸山古墳と共に一体が公園風になっています。
車でこの神社のところまで登れるのだが、道を知らないと少し狭い山道なので登って良いか躊躇してしまいそうです。
車の場合西側からの道が少し広くて入り易いです。
神社への入口は麓に鳥居があり石段で登るようになっていますが、あまり使われていないようです。

神社の隣に丸山古墳があり、この古墳と一体となった神社のようです。
説明では「豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)」の奥津城と書かれています。
豊城入彦命は古墳時代に東国の平定のためにやってきて戦った人物とされますが、この墳墓としてはここの丸山古墳以外にも群馬県前橋市にある総社二子山古墳などが考えられています。
初期の大和朝廷が東国に進出した時の話ですので、この辺に墓があっても不思議ではない気がします。
4世紀末~5世紀初のころの築造と書かれていますので、かなり古いものです。

佐志能神社の入口です。(山の中腹の道路からの登り口です)

神社の境内に置かれていた石仏。

本殿です。やはり囲われていてよく見ることができません。

こちらが丸山古墳の前に置かれている説明文です。こちらでは5世紀初めとなっています。

丸山古墳は全体を金網フェンスで囲っていますが、扉があり解放されていましたので、中に入って写真を撮らせていただきました。
前方後円墳です。

古墳の前方の広場に万葉歌碑が立てられています。
「庭に立つ麻手刈り干し布さらす 東女あづまをみなを忘れたまふな」常陸娘子
これは石岡小学校にある歌碑と一緒ですね。

この神社に行ったのは約1ヶ月前です。その頃は山ツツジが綺麗でした。
山の花はどこか可憐でいいですね。
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説明を書こうと思ったが時間もなく、説明が偏りそうなので敢えて、現地の写真等をそのまま載せます。

佐志能神社は山の中腹にあり、丸山古墳と共に一体が公園風になっています。
車でこの神社のところまで登れるのだが、道を知らないと少し狭い山道なので登って良いか躊躇してしまいそうです。
車の場合西側からの道が少し広くて入り易いです。
神社への入口は麓に鳥居があり石段で登るようになっていますが、あまり使われていないようです。

神社の隣に丸山古墳があり、この古墳と一体となった神社のようです。
説明では「豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)」の奥津城と書かれています。
豊城入彦命は古墳時代に東国の平定のためにやってきて戦った人物とされますが、この墳墓としてはここの丸山古墳以外にも群馬県前橋市にある総社二子山古墳などが考えられています。
初期の大和朝廷が東国に進出した時の話ですので、この辺に墓があっても不思議ではない気がします。
4世紀末~5世紀初のころの築造と書かれていますので、かなり古いものです。

佐志能神社の入口です。(山の中腹の道路からの登り口です)

神社の境内に置かれていた石仏。

本殿です。やはり囲われていてよく見ることができません。

こちらが丸山古墳の前に置かれている説明文です。こちらでは5世紀初めとなっています。

丸山古墳は全体を金網フェンスで囲っていますが、扉があり解放されていましたので、中に入って写真を撮らせていただきました。
前方後円墳です。

古墳の前方の広場に万葉歌碑が立てられています。
「庭に立つ麻手刈り干し布さらす 東女あづまをみなを忘れたまふな」常陸娘子
これは石岡小学校にある歌碑と一緒ですね。

この神社に行ったのは約1ヶ月前です。その頃は山ツツジが綺麗でした。
山の花はどこか可憐でいいですね。


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