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天狗と津島の祇園

 だいぶ前に天狗に関する話をいくつかシリーズでお話しました。(こちら

先日書いていた穢跡金剛尊堂のところで、茨城町下土師にある慈雲寺を調べていたら、ここの和尚が天狗和尚だという昔話を見つけました(こちら)。

これは先日書いたことですが、この天狗の話と石岡市龍名(旧狢内)にある長樂寺の天狗の話がどうもダブってきて気になっています。

概略を書くと

長樂寺の天狗(詳細は私のHP→こちらを見てください)は愛宕山(旧岩間山)で修行していた13天狗の最後(13番目)に加わった天狗と言われています。

この長樂寺(寺の名前でもあり人の名前でもある)が、寺で老母と一緒に住んでいた。
ある日、この母が「遠くてとても行けるところではないけど、一度でいいから、日本一という津島の祇園を見てみたいものだ」といっているのを聞いて、この長楽寺は老母を目隠しをして背負うと夜明けには津島についていた。
この祇園が浜辺で海には何十隻とも知れぬ大船小船が、青・赤色とりどりの旗をひるがえして、勇ましい笛太鼓のはやし、それを見物する人達が浜に群れて、その賑やかなこと・・・・・
と出てくる。

もう一つの慈雲寺の和尚の方は、茨城いすゞの「いばらきの昔ばなし」に出てくるのだが、こちらは気ままな一人暮らしで、兄寺の旧小川町の天聖寺(12km位離れている)まで行ったと思ったらすぐに帰ってくるまるで天狗のようだと言われていました。

ある日、村の子どもを連れて、尾張国の津島の祇園祭を見物に行き、一晩で帰ってきたという。
子どもは背中におんぶして目を開けてはいけないと言われて目を開けたら向こうについていた。
というのです。

さて、長楽寺の方は地元の八郷町誌に載っている内容で、それぞれ津島の祇園祭りの説明がされている。
ほとんど同じ説明がされています。

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津島の祇園祭 祇園祭とは祇園会のことで京都の八坂神社の祭礼を指す。
現在、津島市には祇園祭と呼ばれる祭礼はない。
津島市を代表するお祭りに、「尾張津島天王祭」(津島神社の祭礼として500年の伝統を誇る夏祭りで日本三大川まつりのひとつ。
現在は7月第4土曜と翌日の日曜)と「尾張津島秋まつり」(こちらも300年近い歴史のあるお祭りで絢爛豪華な山車が練り歩く。
現在は10月の第1日曜と前日の土曜)がある。このいずれかにあたるのではないかと推測されるが、確かなことは不明。(茨城いすゞHP)
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と書かれている。

一般には確かに祇園祭は京都の八坂神社のお祭りだとされていますね。
私もそうだと信じていました。

しかし、調べてみるととても面白いことに気がつきました。

津島の祇園というのは、現在の愛知県の津島神社の祭礼のことで、この神社は江戸時代までは「津島牛頭天王社」と称しており、東海地方を中心にした全国に3000社あるという天王社の総本山だそうです。

この神社の成り立ちが実に面白いのです。石岡にも中町に天王社という神社が中心地にありました。
ここで江戸時代に祭礼がありやはり祇園祭です。

今の石岡の祭りを祇園祭というと「そんなことはない」という声がきっと聞こえてくるでしょうが、これは祇園祭または牛頭天王の天王祭り=祇園祭だと思っています。

この津島神社は当然スサノオノミコトを祀っているのですが、神社のWikipediaを見てみると面白いことが書かれていました。

抜粋します。

「社伝によれば、建速須佐之男命が朝鮮半島から日本に渡ったときに荒魂は出雲国に鎮まったが、和魂は孝霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称 津島)に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)旧暦6月1日、現在地近くに移り鎮まったと伝える。弘仁9年(810年)に現在地に遷座し、嵯峨天皇より正一位の神階と日本総社の称号を贈られ、正暦年間(990年~994年)には一条天皇より「天王社」の号を贈られたと伝えられる」

ここにはスサノオは朝鮮半島から渡ってきたとなっています。
年代はここに書かれているよりは後で新羅・百済・高句麗の三国時代でしょう。

スサノオは大国主の先祖ですから出雲や諏訪神社の基になりますね。
そうするとこれらの地方は朝鮮半島からやってきた人々が支配していた場所になるようです。

朝鮮半島から日本に渡ってくるときは「対馬」を通ります。
「対馬」→「津島」となっていったものと考えられますね。

津島神社の祇園祭は船がたくさん出てたいそう賑やかなものだったそうです。
歴史も500年以上続いていると言われています。

明治時代になって政府の指示(廃仏毀釈)で神社の名前もたくさん変わりました。

○「津島牛頭天王社」 → 「津島神社」 (愛知)

○「祇園神社」「祇園社」 → 「八坂神社」(京都)

この京都の八坂神社の主神は「スサノオ命」ですが、この祇園社の時は「牛頭天王」だったといいます。

いつの間にかインドの祇園精舎の守護神「牛頭天王」は明治になると「スサノオ」に変わってしまったようです。

牛頭天王の子どもの総称を「八王子」というそうです。
東京八王子はこの八王子社があったところのようです。

この八王子を祀っていた神はいつの間にか「櫛稲田姫」(スサノオのヤマタノオロチ退治で櫛に変えて髪にさし、大蛇を退治して結婚した、その妻です)に変わっています。

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石岡市龍明の「長樂寺」 この寺の和尚が修行をして岩間山(現愛宕山)の13番目の天狗になった。

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岩間山(愛宕山)の愛宕神社裏にある飯綱神社の六角殿(本殿)と13天狗の祠。
江戸時代の平田篤胤の「仙境異聞」に出てくる天狗の修行場所だ。

その書物によれば、1820年に江戸の町に天狗小僧「寅吉」があらわれ、この子供の話として天狗の中で長楽寺だけが人間からなったが天狗で、三十歳くらいの山伏の姿だという。
また長楽寺が天狗になったのはそれより40~50年くらい前だと書かれている。

jiunji01_20120620193501.jpg

こちらは茨城町下土師の慈雲寺にある穢跡金剛堂。
ここの和尚が天狗和尚と呼ばれたとある。
岩間山の奉納相撲大会で大男を投げ飛ばして十人抜きをして姿を消した和尚もこの和尚だとされる。

平田篤胤の本では長楽寺は真言僧となっている。 こちらの慈雲寺は禅寺で曹洞宗だ。

後でまた調べてみたい。

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天狗の話 | コメント(4) | トラックバック(1) | 2012/06/20 20:00
コメント
No title
天狗も、言われてみれば幾つもの話や名所を思い当たります。神奈川県では小田原の奥に、大雄山最乗寺という曹洞宗の大きな寺があって、山岳密教の修行場のような雰囲気がある所です。そこに天狗の履く‘一つ歯の下駄’が多数奉納されてあります。それがバカでかいのまで必ず一足つまり左右一対分があります。最近行っていませんが、他所で見たことのなりオブジエ(?)なので記憶しています。
 ただ、B型の小生としては(?)根拠のなさそうな伝説は興味の対象外で、検討しようとしたことはありませんでした。ROMANさんの記事でも天狗の話は室町以後のような比較的新しい時代から起きたように見えますが、山伏とイメージがダブるところなどを考えるとそうした神道+密教修行が流行ってからのことなのでしょうか、などと考えます。
 興味のテリトリーを増やすきっかけをありがとうございます。
忠顕さま

> 神奈川県では小田原の奥に、大雄山最乗寺という曹洞宗の大きな寺があって、山岳密教の修行場のような雰囲気がある所です。そこに天狗の履く‘一つ歯の下駄’が多数奉納されてあります。それがバカでかいのまで必ず一足つまり左右一対分があります。

一つ歯の下駄を奉納するのですか? 大きな下駄は壮観でしょうね。
一度見てみたいですね。

>  ただ、B型の小生としては(?)根拠のなさそうな伝説は興味の対象外で、検討しようとしたことはありませんでした。ROMANさんの記事でも天狗の話は室町以後のような比較的新しい時代から起きたように見えますが、山伏とイメージがダブるところなどを考えるとそうした神道+密教修行が流行ってからのことなのでしょうか、などと考えます。

基本的にはその通りだと思います。江戸時代になってからではないでしょうか。
もちろん話としては猿田彦などともつながるので昔からあると思いますが、山伏と天狗のイメージが重なったのも室町以降でしょう。
東京の高尾山、茨城稲敷の大杉神社など天狗にまつわる話は江戸時代になってから広がったのではないかと思います。

>  興味のテリトリーを増やすきっかけをありがとうございます。

是非テリトリーにお加えください。
バカバカしい話もそれはそれでいろいろな興味につながるようです。
No title
おはようございます。

昔話はアラジンと魔法のランプのようですね。
洋の東西は違っても 人の発想は似たり寄ったり何だかたのしく拝見しました。

平田篤胤は秋田県人です。
千秋久保田のお城の入り口に資料館があります。
言の葉ISさま
今回もコメント嬉しく頂戴いたしました。

> 昔話はアラジンと魔法のランプのようですね。
> 洋の東西は違っても 人の発想は似たり寄ったり何だかたのしく拝見しました。

本当にそうですね。
そう考えると天狗の話ももう少し夢が膨らむように考えてみたら楽しいでしょうね。

> 平田篤胤は秋田県人です。
> 千秋久保田のお城の入り口に資料館があります。

そうですか。知りませんでした。調べたら秋田の出身で4男だそうですね。
そして成人して江戸に出てからの勉学がすごいですね。

神がかり的なようです。見習わなければいけないことがたくさんあります。
神道はよくわかりませんが、いろいろなことに精通していたようです。

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 だいぶ前に天狗に関する話をいくつかシリーズでお話しました。(こちら)先日書いていた穢跡金剛尊堂のところで、茨城町下土師にある慈雲寺を調べていたら、ここの和尚が天狗和尚だという昔話を見つけました(こちら)。これは先日書いたことですが、この天狗の話と石岡?...