稲敷散歩(3)-瑞祥院(江戸崎)
現稲敷市となった旧江戸崎町の散歩の3回目です。
この江戸崎は霞ヶ浦の海運で発達した街のようです。
2回目に紹介した(五百)羅漢山の麓にある臨済宗の禅寺「瑞祥院(ずいしょういん)」を紹介します。

瑞祥院入口です。
手前にひょうたん池があり、橋をわたって右手に羅漢山の江戸崎八景の碑が置かれています。

寺の入口にひょうたん池です。寺に入るのに小さな石橋を渡ります。
このひょうたん池は江戸崎城の外堀の名残と言われており、この橋も1843年に架けられたもののようです。
江戸崎城は1387年に美濃国から来た土岐原氏が、この地に入り、城を築き約200年この一帯を収めていたといいます。
土岐原氏も石岡(府中)と同じく天正18年(1590)に佐竹氏の軍勢により落城してしまいました。

この瑞祥院がこの場所に移ったのは戦国時代末期と書かれているので、城が落城した頃かもしれません。
その前は「小角(おずみ)」にあったと書かれています。
地図で調べてみると、ここから2.5~3.0km位北西になるようです。
寺の入口には臨済宗の禅寺であり、「不許葷酒(くんしゅ)入界内」の戒壇石が置かれています。
お酒を飲んで寺には入らないでくださいね。

正面が本堂(大師堂?)。左手が虚空蔵堂です。
さて、この寺では春に「大師講」が行われているようです。
禅宗ですから、大師=だるま大師のことかと思いましたが、弘法大師様とも・・・・。
大師講は一年間に亡くなった人の供養を、十日間にわたって八十八の札所をお参りする事だそうです。
ということはやはり弘法大師(空海)のようですね。
この瑞祥院の大師堂にある八十八体の大師像にお参りしてから八十八カ所の札所参りをして一枚づつお札を貼って歩くのだそうです。

この虚空堂の横に置かれている像は弘法大師のように見えます。

虚空蔵堂です。お札がたくさん貼ってあります。

本堂の前にお宮がひとつ置かれていました。
あとから考えると、隣の山の金比羅山が崩れたために、お宮をここに仮置きしているのだと思います。
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この江戸崎は霞ヶ浦の海運で発達した街のようです。
2回目に紹介した(五百)羅漢山の麓にある臨済宗の禅寺「瑞祥院(ずいしょういん)」を紹介します。

瑞祥院入口です。
手前にひょうたん池があり、橋をわたって右手に羅漢山の江戸崎八景の碑が置かれています。

寺の入口にひょうたん池です。寺に入るのに小さな石橋を渡ります。
このひょうたん池は江戸崎城の外堀の名残と言われており、この橋も1843年に架けられたもののようです。
江戸崎城は1387年に美濃国から来た土岐原氏が、この地に入り、城を築き約200年この一帯を収めていたといいます。
土岐原氏も石岡(府中)と同じく天正18年(1590)に佐竹氏の軍勢により落城してしまいました。

この瑞祥院がこの場所に移ったのは戦国時代末期と書かれているので、城が落城した頃かもしれません。
その前は「小角(おずみ)」にあったと書かれています。
地図で調べてみると、ここから2.5~3.0km位北西になるようです。
寺の入口には臨済宗の禅寺であり、「不許葷酒(くんしゅ)入界内」の戒壇石が置かれています。
お酒を飲んで寺には入らないでくださいね。

正面が本堂(大師堂?)。左手が虚空蔵堂です。
さて、この寺では春に「大師講」が行われているようです。
禅宗ですから、大師=だるま大師のことかと思いましたが、弘法大師様とも・・・・。
大師講は一年間に亡くなった人の供養を、十日間にわたって八十八の札所をお参りする事だそうです。
ということはやはり弘法大師(空海)のようですね。
この瑞祥院の大師堂にある八十八体の大師像にお参りしてから八十八カ所の札所参りをして一枚づつお札を貼って歩くのだそうです。

この虚空堂の横に置かれている像は弘法大師のように見えます。

虚空蔵堂です。お札がたくさん貼ってあります。

本堂の前にお宮がひとつ置かれていました。
あとから考えると、隣の山の金比羅山が崩れたために、お宮をここに仮置きしているのだと思います。


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