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稲敷散歩(6)-不動院(その3)

 今日も良い天気でした。
青い空に浮かぶ白い雲。風がないせいかふんわりと筑波や加波山の上の方に浮かんでいます。

雲を見ながら幸せな気分になりました。

ここのところ政治もおかしくなっているし、東電の報告書はもうどうしようもないし、関電の株主総会等はやはり思った通り、被災地の人の思いとは全く心の通わない温度差でどうしようもありません。

一昨日また地震雲が出ていると言われていたら、昨日は2度グラグラと大きめの地震がきて、不安がまたよぎりました。
まだ安心するのは早そうです。

温度差はどうしようもないかもしれないけれど、今もまだ仮設ではなく廃学校の教室に暮らしている避難者がたくさんいます。

今日は少し、疲れているので、いつもの記事は少しだけにします。残りはまた明日書きます。

fudoin16.jpg

江戸崎散歩の不動院は街中の低地に大きな仁王門が立ち、そこをくぐると寺へ登る石段があります。

「長寿の坂」と名づけられているようです。

なぜでしょう? 書かれてものが見つかりませんでしたが、長寿等という言葉はそう古いことではないでしょう。

きっとこの寺の住職もしていた「天海」が108歳という長寿だったと言われているからでしょう。
石段も108段あるようです。


この寺は文明2年(1470)に江戸崎城主となった土岐原氏により再興され、その後天正17年(1589)に佐竹氏により滅ぼされた後、芦名盛重(佐竹義宣の弟)が江戸崎城主となり、寺の修復をして「天海」大僧正を8世として迎えています。

天海大僧正(慈眼大師)は福島県の会津高田の生まれで、姓は蘆名(あしな)氏となっていました。

この蘆名はここの芦名氏と同じです。
気になりますが詳しいことはわかりません。そのうちにまた調べてみたいと思います。

ただ、芦名氏を調べていたら色々と面白いことがたくさん出てきました。
もう少しまとめてからまた書きましょう。

天海大僧正は家康や家光の絶大なる信頼を得ていた人物ですが、この寺の住職であったことはあまり知られていないようです。

この寺と川越喜多院の住職を兼務していたときもありそうです。
年代別に整理して、喜多院がこの天海僧正と家康との関係より関東における天台宗の総本山の地位を獲得しています。

さて、芦名盛重は兄佐竹義宣の秋田移封に従って、秋田へ移り、角館に入り角館の城主として今の街並み等を整えています。

この角館の街並み(城の移転、道路の拡張など)は芦名氏が築いたようですが、3代で終り、そのあとに佐竹北家の佐竹義隣が入ってから、小京都といわれる街を造ったようです。

この角館の芦名氏をもう少し調べてみたい気がしています。

3代続いたといっても、2代目は早死して、その子が1歳で家督を継ぎ、3歳で転んで死んでしまったのですから・・・。


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稲敷散歩(江戸崎周辺) | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/06/29 21:13
コメント
No title
お久しぶりです。
僕も電力会社の考え方に一般とはかけ離れた温度差を感じます。
本当に大丈夫なんだろうか?信用できるんだろうか?
震災復興はこの階段のように一段づつされるといいんですが
政治は階段を登ることをしていない感があるように思います。
ララさん
おはようございます。

いつも素敵な写真ありがとうございます。

> 僕も電力会社の考え方に一般とはかけ離れた温度差を感じます。

・・・新潟も地震の被害にあわれたし、柏崎も心配ですよね。
一度柏崎原発の見学をしたことがあります。
綺麗な展示場に綺麗なお姉さんによる説明でした。

でも事故が起きてものや人を見る目も変わりました。
もっと人の心に寄り添った考え方ができないのでしょうか・・・・。

> 政治は階段を登ることをしていない感があるように思います。

階段を1段ずつ登る。確かにそうですね。ありがとうございました。

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