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牛込・牛渡

 旧水戸街道は現在の6号とほぼ似たような経路をたどっていますが、その昔の古道東海道の道を検証してみましょう。
石岡は古道東海道の終点の都市でした。
また江戸時代前までは、今の霞ケ浦を舟で渡っていたといわれています。
しかし、現在鎌倉街道の名前のついた道も多くあり、どれがメインの道かが判りません。
しかし、かすみがうら市(旧出島村)に牛渡(うしわた)という地名があり、古墳や神社などがあります。牛渡の鹿島神社では「へいさんぼう(平三坊)」なる変わった祭りが残されています。

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映画「土」の舞台となり、貧しい農村が描かれていますが、昔はここらあたりに対岸から舟で渡ったものでしょう。
牛渡は対岸から牛が渡って泳ぎ着いてこの名前になったと考えられています。

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その対岸ですが、美浦村です。
競馬馬のトレセンで名前は全国区ですが、ここに「陸平(おかだいら)貝塚」があるのです。
先日お邪魔した時は、夏の終わりで、地元の小学生たちも手伝って貝塚の発掘調査を行なっていました。
縄文前期から後期にわたり、5000年以上続いた縄文人の暮らした跡がはっきりと分かる貴重な場所です。
この貝塚のすぐ北側に「牛込(うしごめ)」という地名があります。
この場所から牛を対岸の牛渡に送っていたのでしょうか?
平安時代は貴族の移動は牛車で、馬ではありませんでした。
牛は牛込に残し、人だけが渡ったのでしょうか?

江戸時代の前はこの霞ケ浦は湖ではなく海(内海)でした。香取の海などと呼ばれていました。
現在よりも水面は数十センチ高かったようです。
ヤマトタケルの東方に来た時代の地形は、ぼんやり想像ができるようにも思いますが、縄文人が暮らした時代は現在の地形からは、まったく想像すらできません。
利根川を人工的に銚子の方にもっていき、江戸の治水対策にしたのですから・・・。

古東海道 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/11/06 18:23
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