稲敷散歩(11)-管天寺(土岐原氏の寺)

 一昨日書いたリバーサイドパーク(かぼちゃ公園)のところを川沿いに少し北上(霞ヶ浦方面)した比較的低地にこの管天寺(かんてんじ)がある。

山号は「江崎山(こうきざん)」という曹洞宗の禅寺である。

この寺は江戸崎城主の土岐原景成(土岐原氏というが、土岐氏の方が一般的のようだ)が創建した寺だ。

この土岐氏は美濃に勢力を張った清和源氏系の土岐氏の一族で、南北朝時代の末期1423年に足利持氏の常陸小栗氏(旧協和町あたり?)討伐に関東に進出してこの江戸崎(信太荘)に入った。

その頃の話としては、このあたりは霞ヶ浦(内海)の一部で水運が発達しており、海賊も出没していたという。土岐氏はこの海賊も取締り、海の実権もにぎっていったようです。
少しそのような時代背景も見ないといけないでしょう。

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この寺は、創建された時(1490年)は現在の場所ではなく、前に書いた五百羅漢山のある寺(瑞祥院)のその南側、今の鹿島神社があるところだそうです。
この鹿島神社は、市街地にある結構大きな神社です。また後で紹介します。

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寺の入口に江戸崎八景の碑「江崎山の晩鐘」(江崎山の晩鐘幽壑(ゆうがく)に響き)があります。

この管天寺は、江戸崎城で戦国時代末期迄160~170年続いた土岐原氏の菩提寺(管天寺の名前も土岐原景成の法名からきています)として栄えますが、1590年に豊臣方(佐竹氏)により江戸崎城・龍ケ崎城とともに焼け落ちました。

上の句はこの時の想いを歌ったものでしょうか?

その後(いつ頃か明確でない?)現在の地に再建し、七堂伽藍も整備して元禄10年(1697)には郡内の中心寺院となりました。
しかし、1809年に寺堂は焼失し、1820年に再建されたそうです。

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この寺は曹洞宗の禅寺です。「不許葷酒入山門」の戒壇石が置かれていました。
(1822年に、湯殿山・月山・羽黒山、西国・秩父・坂東巡礼供養塔として建立されたものだそうです。)

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寺の裏手です。

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竹林が綺麗です。

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寺の歴代住職の墓が、裏手の墓地にあります。そこに行く道の脇にはたくさんの石仏が置かれています。

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寺の境内に石が2つ置かれています。どうやら力石のようです。
力持ちが力比べをしたのでしょうか。持ち上げてみようとも思ったのですが石は見かけよりもとても重いのです。動かすことも出来そうにありません。



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稲敷散歩(江戸崎周辺) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/07/05 22:31
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