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稲敷散歩(15)-へっぴり坂

 徳川家康、家光などの信仰を集め、江戸の町作りから日光の墓所までいろいろな影響力を持ったといわれている「天海」大僧正がおります。

この天海僧正は謎めいたところも多く、筆跡が非常に似通っているということで明智光秀ではないかとも歴史ミステリーなどでは紹介されています。

しかし、ここ江戸崎不動院の住職をしていたことはほとんど紹介されていません。
なぜなのでしょう。

ここ江戸崎には昔話を丹念に残されて公開しているサイトがあります。
(江戸崎の昔話 → こちら

このような取り組みを1985年からされているようですがとても素晴らしいことだと思います。

この話の中で、天海僧正について書かれているものが3つ載っていました。
二つは干ばつが続いて困っていた時に雨乞いのお祈りをして雨を降らせたというもので、これは「そんな話もありなん」と読みましたが、面白い話がもう一つの話なのです。(こちらに原文)

一部を抜粋させていただきます。
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 不動院の院主になるには、あるしきたりがあった。不動院が本寺でその下に格が一番上で古渡の円密院、二番目阿波崎の満願寺、そして三番目沼田の吉祥院と末寺が三つあり、・・・院主は末寺の円密院と満願寺から選ばれるしきたりになっていたのだ。これは土岐の殿様がつくったしきたりだった。

 ところが芦名の殿様はこのしきたりを無視し、ほかから連れてきた天海僧正を院主にしてしまった。さあ、おもしろくないのが円密院と満願寺のお坊さんたち。奇跡を起こしてますます名声を上げている天海へのねたみも手伝って、天海を殺そうか追放しようかという動きが日に日に強まっていった。

 そんなとき、突然芦名の殿様が秋田へ国替えすることになった。円密院と満願寺の坊さんたちが小躍りして喜んだのはいうまでもなかった。
 芦名の殿様が行列を従えて江戸崎を離れた日の夜。天海は昼間の疲れから早めに床に入り、うとうとし始めた時だった。カシャカシャという変な物音に気づき、雨戸を細めに開けて外を見るとびっくり仰天。十人ほどの男たちが手に手になぎなたや刀を持ち、今押し入ろうとしていた時だった。天海は腰を抜かしそうになり、あわてて裏門から寝間着姿のまま飛び出した。裸足のままだった。ひたすら西の吉祥院へ向かって駆け出した。すぐそこに坂があり震える足で下り始めたとき、なんとおならが、プッ。人はあまりの恐怖に小便を漏らす事があるが、天海はおならが出てしまった。その後その坂は「へっぴり坂」と呼ばれるようになったとか。
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さて、面白いと思ったのはいくつかあります。

1)天海ともあろう有名な修行を積んだ僧侶が、なぜ逃げ出したのか?

石岡の板敷山の麓にある大覚寺には「親鸞法難の遺跡」という碑が置かれています。
山伏弁円が親鸞の名声を妬み、板敷山で親鸞をおそうと待ち構えていました。
しかし親鸞がいつまでたってもやってこないので稲田の草庵に押しかけます。
親鸞は穏やかな話し方で弁円を諭し、その姿に弁円は親鸞の弟子になります。

そして親鸞と布教に出かけていくのですが、ある日この板敷峠の道を二人で通った時に弁円はハラハラと涙を落とし「山も山 道も昔にかわらねど 変わり果てたるわが心かな」と詠んでいます。
今では弁円懺悔の地と石碑が立てたれています。

ずいぶんと違いますね。
でもこれは恐らくこの地にまだ200年続いた「土岐の殿様」への思慕があり、新たにその土岐氏を滅ぼした佐竹派の「芦名氏」が連れてきた随風(後の天海)を快く思っていなかった人がかなりいたのでしょう。

2)もう一つ面白いと思ったのは「へっぴり坂」です。

石岡には府中城が焼け落ちた時、馬に乗った武士が焼ける城を眺めて「ああ残念!」といったという「残念坂」というところがあるそうです。ところがこの場所がよくわからない。

まあそれは良いけれどおもわず「屁」をしてしまったという「へっぴり坂」って何か面白くありませんか?

あまり下品でいただけないですが・・・・。

全国の「へっぴり坂」やそれに類似の名前の坂を調べてみましたよ。
こんなことをしていると時間がいくらあっても足りませんので少しだけお知らせします。

少し長いので興味があったら読んでみてください。

1)屁っぷり坂:神奈川県三浦市・・・北原白秋ゆかりの坂、源頼朝を村人がこの坂上から拝んだ。
  「屁の神を 赤き旗立て祭れるところ」(白秋)
 この三浦市は三浦氏が治めていたところで、この三浦氏の親族が会津に渡り芦名氏を興す。
 その芦名氏は伊達政宗に攻められて江戸崎に入る。(つながりがありますね)

2)へっぴり坂:神奈川県横須賀市芦名・・・上の三浦氏から分かれた氏族で同じ芦名氏を名乗っている氏族がいたところです。このあたりでは最も急な坂だそうです。

3)屁っぷり坂:新潟県赤塚・・・寛延4年(1751)に開通した坂、江戸時代、あまりの急斜面で切な屁(せつなべ)が出るほどであったため、この名前で呼ばれていると説明にありました。
地元で、この坂を観光に看板を出そうとして坂のそばの人に反対された。
その人いわく「今までこの名前の坂のそばだったのでどれだけ馬鹿にされて呼ばれたものか。こんな名前はやめてくれ」・・・もっともです。

4)へっぴり坂:金谷から掛川の東海道・・・徳川家康が戦いに敗れ、敵に追われてこの坂を越える時、「セツナ屁」を放ったのでこう呼ぶようになったとか、「兵放ち坂」が訛って呼ばれたとも。

5)へっぴり坂:常陸太宮市大山愛宕山・・・室町時代に石塚氏、木場氏が組んで大山氏を愛宕山に追い込み下から火を放ちました。しかし火防の神を祀る愛宕山により火は山の上から下に向かって吹き荒れます。
小場の坂まで逃げもどった兵士たちは、ここで追ってきた大山方に最後っぺを放ちました。

6)へっぴり坂:栃木県益子・・・お殿様がこの坂が急すぎて馬では登れず、徒歩ではあはあ言いながら登っていたそうです。そして殿様が通り過ぎるのを平伏して待っていたら、お殿様「御屁」をぶっ放したそうで、その音が遠くまで響き渡るくらい大きかったんだそうだ。

7)へっぴり坂:東京都多摩市聖蹟桜ヶ丘・・・急な坂で屁が出るほどだそうで、
「へっぴり坂でへをしって 百草、倉沢暗やんで 耕地、落川粉が降る」
なんて歌まで残るという。

その他、
 へっぴり坂:保土ヶ谷区月見台、神奈川県海老名市、厚木市など
 屁っぷり坂:千葉県流山市
 屁っぴり坂:伊勢原大山街道
 幣振坂(へいふりざか):長崎県筑後町
 屈振坂遺跡(へっぷりざか):新潟県柏崎市

などがありました。

この呼び名は、主に街道の道であるが、昔は舗装等されていないので馬では登れず滑るような急坂のため「へっぴり腰」で登らざるを得ない坂をいつの間にか「へっぴり坂」と呼ばれるようになり、徳川家康や、その地の殿様が屁をしたなどと、いつの間にか面白半分に言い伝えたたわいもない話だったようです。

つまらぬ話をしてしまいましたね。お食事中の人はごめんなさい。

でもその時代に娯楽もありませんから、こんな話をして憂さ晴らしもあったのだと思います。
天海僧正の話も、その時代の地元の人々の思いが表れていそうで面白く思ったのです。

下に、不動院の天海僧正を襲った円蜜寺、と満願寺の位置、および天海が逃げ込んだという吉祥院の位置を地図に表しました。

不動院

この記事から、そこに載っていた3つの寺院に行ってみました。
とても興味深い寺でしたので、続けてまた明日以降に載せます。

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稲敷散歩(江戸崎周辺) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/07/13 20:06
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