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稲敷散歩(14)ー歴史の足跡(江戸崎)

 今日は暑かったし、どうも調子がよくない。

今日書こうとしていたことがまとまらないので、少しあとに回して、せっかく江戸崎の街レポートを始めたので、この町の歴史を少しだけ紐解いておきたい。

この水辺の中心地を見てきたが、ここには古代の歴史が感じられない。
もう少し何か出てくるかと思ったのだが・・・・・。

古代はもっと山寄りの方が栄えたのだろう。少しずつこちらも紐解かねばならない。
私はどちらかというと1000年ほど前の方が興味がある。

ではこの都市は? 

今まで歩いたところではやはり美濃(岐阜)の土岐氏(土岐原氏)が嘉慶1年(1387)室町幕府の関東管領上杉氏の求めにより、常陸大掾氏系の小栗氏(小栗判官(ほうがん)の話で有名な小栗氏です)の討伐に関東にやってきてこの江戸崎の地を得て、江戸崎城を築いたことが始まりのようです。

その城があったのは江戸崎小学校の場所で、土岐氏の菩提寺である「管天寺」が今の鹿島神社のところにあったようです。

そしてこの土岐氏による支配は戦国時代末期まで、約200年続きます。

しかし、私のいる石岡と同じく豊臣秀吉に常陸国を任せられた佐竹氏の軍勢に滅ぼされてしまいました。

当時佐竹氏は各地に血縁を送っており、佐竹氏の実弟が会津の芦名家を継いでおりました。

しかし、会津は伊達政宗に攻められて、会津芦名氏は常陸国の佐竹氏のもとに逃げてきていたのです。

そして、この江戸崎攻めに加わり、秀吉より江戸崎4万5千石をもらい、ここに入ることになります。
天正17年(1589)のことです。

そして芦名氏は会津より高僧「随風」(後の天海大僧正)を迎え入れ、不動院の僧正に迎えたのです。

しかし、徳川家康により佐竹氏が秋田に転封になると、ここの芦名氏も秋田の角館に移ることになります。
1602年(慶長7年)のことです。
(それまで角館にいたのは戸沢氏で、この時に常陸国茨城郡小河城(4万石)へ移り、少しして出羽新庄藩に移っています。)

このため、江戸崎の芦名氏は12年くらいしかいなかったことになりますが、今の街並み等の多くがこの時に作られたものと考えられます。
芦名盛重もこうして見ると角館の街作りも合わせて、大した人物だと思います。

随風(天海)はまだこの寺に残りますが、その頃の話はまた後でしましょう。

江戸時代には徳川家臣の青山氏が入り、老中まで栄進して石を増やし、1620年に武蔵国岩槻藩に行ったため、そのあとは古渡藩より丹羽氏が入るが1622年に棚倉藩に移動となって、ここの江戸崎藩は廃藩となってしまいます。

しかし、霞ヶ浦による水運が発達して醤油や問屋などが大いに発展を遂げていったのです。

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江戸崎不動院

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不動院の「吉祥妙童子像」

さて、ここで今日は終わりですが、芦名氏は会津と書いたが、その元をたどると三浦半島の三浦氏である。
常陸太田の1000年杉「三浦杉」の名前のもととなった那須の九尾の狐退治の三浦大介の弟の血筋である。

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稲敷散歩(江戸崎周辺) | コメント(0) | トラックバック(1) | 2012/07/10 22:15
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