稲敷散歩(16)-吉祥院(江戸崎)
さて、昨日の話の続きです。江戸崎の不動院の院主として会津からやってきた随風(天海)を快く思っていなかった古渡の円蜜院や阿波崎の満願寺の僧侶たちにより襲われて、逃げ出した天海は不動院から西南方向に7~800m位離れた吉祥院に逃げました。

この天台宗の吉祥院は不動院の末寺としては一番近くで天海も心を許せるところだったのでしょう。
当時はこの山門は茅葺きの綺麗な門だったようです。

立派な屋根の本堂ですが、寺の屋根の上の寺紋は徳川の「三葉葵」のようです。

境内に置かれた石仏の一番左に「慈眼井」とあります。
慈眼大師=天海のことですね。
この「空井戸」の中に身を潜めて逃れたのだとか。
昔話によると江戸崎不動院の末寺の順位がこの事件で変わり、ここ吉祥院が上に来たことになっています。
でもこの寺を見る限り本当なのかは疑わしく思っています。
江戸崎の街を探索するとどうも古渡から阿波、香取の方とのつながりを強く感じてしまいます。
信太郡の流れがやはり下総と常陸の国境であるからかもしれない。
少なくても江戸崎の高台から美浦村、阿見町、利根町などの歴史の流れとは少しちがったものが混じっていそうなのです。
そちらの方に少し取材範囲を広げる必要がありそうです。
昔あったとされる「菟上之国」(海上之国)、安婆嶋などが気になります。
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この天台宗の吉祥院は不動院の末寺としては一番近くで天海も心を許せるところだったのでしょう。
当時はこの山門は茅葺きの綺麗な門だったようです。

立派な屋根の本堂ですが、寺の屋根の上の寺紋は徳川の「三葉葵」のようです。

境内に置かれた石仏の一番左に「慈眼井」とあります。
慈眼大師=天海のことですね。
この「空井戸」の中に身を潜めて逃れたのだとか。
昔話によると江戸崎不動院の末寺の順位がこの事件で変わり、ここ吉祥院が上に来たことになっています。
でもこの寺を見る限り本当なのかは疑わしく思っています。
江戸崎の街を探索するとどうも古渡から阿波、香取の方とのつながりを強く感じてしまいます。
信太郡の流れがやはり下総と常陸の国境であるからかもしれない。
少なくても江戸崎の高台から美浦村、阿見町、利根町などの歴史の流れとは少しちがったものが混じっていそうなのです。
そちらの方に少し取材範囲を広げる必要がありそうです。
昔あったとされる「菟上之国」(海上之国)、安婆嶋などが気になります。


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