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稲敷散歩(25)-信太小太郎伝説その2

今日は夕方から千葉の方に出かけていて遅くなってしまいました。

簡単に昨日の続きを少し書いておきます。

昨日書いた信太小太郎は平将門のひ孫とされているが、昔の話なので家系図などもどこまで信じて良いのかはわからない。

相馬というと福島県の相馬で、相馬野馬追が有名であるが、この起源も平将門だとも言われている。

下総の相馬氏も陸奥相馬氏も千葉常胤の次男である師常を起源とし、将門の子孫の養子に入ったことになっているそうだ。

どこまで信用できるかはわからない。

しかし、何故かこのような話が伝わって残っていくのは面白いものがある。

小太郎が家を追い出されて人買いに売られて苦労する。

このような話は後に創作されたものだろうとも思うが、江戸より前の室町から戦国時代の話としたらまた楽しそうだ。

安寿と厨子王の話しは、岩代国(今の福島・二本松あたり)の判官(ほうがん)であった父が筑紫へ移されたことにより話が始まります。
こういう話はやはりどこか共通点があります。

でも石岡にある婆ヶ峰などの話はでもどこか発展性がない。何故なのか?
本当はもっと発展すべき話だったのではないだろうか。

(私の頭に突然「婆ヶ峰」が浮かんだのは、福島の安寿と厨子王の話の舞台に似た名前の山があったためだ)

さて、今日は信太小太郎の伝承が伝えられている美浦村信太にある「普賢院(ふげんいん)」を紹介します。

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金龍山観音寺普賢院。天台宗の寺院です。
美浦トレセンの入口近くに入口の案内があります。道路はそこからグネグネとした道が続きます。

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鎌倉末期の1331年7月相馬孫次郎行胤により開基と伝えられます。一時荒廃して1667年に中興され、その後中興5世が書き起こした「常陸国信太郡信太村金龍山普賢院本尊阿弥陀如来略縁起」に信太小太郎の守仏が阿弥陀如来であり、この寺が小太郎の祈願寺とも言われているようです。
(正確には確認していません。)

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(上はサムネルです。読みたい人は写真(説明文)をクリックしてください)

実はこのあたりに興味を持ったのは古東海道がもしかしたらこのあたりを通っていたのではないかとぼんやりと思い浮かべていたからです。

美浦村の牛込あたりに出るには、昔の地形からするとこの近くを通っていたと思われるのです。

官道として整備された真っ直ぐな広い道を探して追いかけている記事を見つけます。

古代官道の跡が発掘された記事もアチラコチラで見かけます。

でも日本の地形を考えると真っ直ぐな広い官道も一部では作られたが、すべてがつながった道などできていなかったのではないかと考えています。

ですから、クネクネしたこんな山道のような道もあっても不思議ではありません。



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稲敷散歩(江戸崎周辺) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/07/30 23:03
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