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あゝ石岡駅(1)

 このブログもはじめてからようやく3ヶ月が経過した。
毎日続けて書くこともかなり大変なものだ。
もともとビジネス文書以外には書くこともあまりなかった。
こうして始めたからにはもう少し続けていきたいな~・・・・??
今日からは「石岡駅」について知られているようで知られていないことなどを少し書いてみたい。
「汽笛一声新橋を…」と歌にも歌われている通り新橋(現汐留駅)が完成したのは明治5年でした。
そして鉄道は瞬く間に全国に広がっていきました。
明治18年11月に東北本線(日本鉄道)が大宮-宇都宮間で開通しました。
これにあわせて、水戸-小山間に水戸鉄道が明治20年に開通します。
しかし、常磐線は、常磐炭鉱の石炭を東京の方に運ぶ必要がありましたが、建設が遅れます。
友部-土浦間の開通が明治28年。土浦-田端間が明治29年12月に開通しました。
記録によると恋瀬川を渡る橋と湿地帯の通過の工事が難航したようです。
最初は少し高くなった山側はトンネルを掘る計画だったようですが、切りとおしとし、削り取った土を湿地帯に埋めたといわれています。工事の写真が「石岡の歴史」などに載っています。
石岡駅は山王川ぞいの低地に作られました。それと同時に「大小路新道」を作り、駅に荷馬車で荷物を運びやすくしたのです。
土浦線は海岸線と名前を変更し、その後日本鉄道として国有化となりました。

 さて、正岡子規が水戸への旅の途中、石岡の万屋旅館に泊まったのは、明治22年の春です。
水戸まで歩き、帰りは水戸線の列車で帰ります。
万屋さんはふるさと文庫「水戸紀行」によればピノキオというおもちゃ屋さんだというし、今泉さんのブログでは「カギヤ」さんのところでむかし玩具の店だったとあります。
市にも看板くらい出してほしいといっているがまだ実現されないようだ。
呑気なものだ・・・・。
看板を出すなら、地元新聞や大手の新聞にも連絡して、除幕式でもやってほしいものだ。
土浦の旧真鍋公園場所には霞ケ浦を眺めて読んだ歌碑ができ、きちんと除幕式も行われた。
仕事とはこういうものだ。
教育委員会が看板を出して終わりではない。
正岡子規となれば知名度は抜群だ。全国に歌の会があり、会員の数はものすごい。
先日風土記の丘にも歌の会の人が観光バスで来ていた。
知られていればきっといってみたいと思うに違いない。
今日は時間がないので続きは明日に・・・。

あゝ石岡駅 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2010/11/11 20:49
コメント
カギヤ玩具
度々すみません。
かすかな記憶ですが、私が小学生の時分カギヤ
玩具店は現在のカギヤ楽器と鬼沢靴店の間にありま
した。ピノキオさんはこのカギヤ玩具が店名を変え
て引っ越したのかな、と勝手に思っておりました。
母か兄嫁がその辺覚えているでしょう。今度
確認してみます。
私にとってはいつの間にカギヤがピノキオに?と
言う感じでありまして、古いほうのカギヤの記載
が存在しているのであれば、こちらが万屋かな、
と思えます。
NHK坂の上の雲が去年~来年ですから、子規にあや
かれるのも後わずか、のんきなものだ、とおっし
ゃるの良く分ります。
都都逸坊の土地でもありますのに。
では。
Re: カギヤ玩具
コメントありがとうございます。
やはりそうでしたか。現在のまちかど情報センターの駐車場あたり
のようですね。
こんなことは市で調べればすぐにわかることだと思っています。
記録は残っているに決まっています。
こちらで地籍を調べても良いのですが、役目が違いますので・・・。
4月に問い合わせて、いただいた回答の一部を載せておきます。
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市長に確認をとったところ、「とてもいいお話であり、前向きに検
討します」との答えがありました。
実際の句碑等の設置に関しましては、教育委員会の生涯学習課が担
当になりますので、先ほど担当者にも連絡し、検討するよう話しま
したので、久保田様(市長の広報) の方でオフィシャルサイトから
○○様(私のこと)にこの旨をご連絡いただければと思います。
よろしくお願いいたします。

石岡市役所 秘書広聴課 ○○○    (平成22年4月26日)
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街角情報センター
http://ishioka.jugem.jp/?eid=382
こんな記述がありました。
お店はますます繁盛し、おもちゃ部門を分けて、ピノキオさんに譲り、:
とあります。
ここまでは良いとして、分らないのが、元の場所(今の駐車場)のまま、カギヤからピノキオに
経営、屋号が変ったのか、それとも引っ越してから変ったのか。もうひとつの可能性は元の場所で
ピノキオに変った後、皆が昔からの慣れのままカギヤと呼び続けていたのか。その辺りの記憶の
混沌が万屋の謎の元になっていそうな気がしました。
なおかつ鬼塚靴屋のならびには東陽相互銀行があったようです。そちらの移転に絡んで、カギヤ
・ピノキオの引越しもあったように推察できるのですが、もうこうなるとセピア色の記憶です。
橋本旅館の主人の発言:八間道路の突き当りの
ちょい左のピノキオ、という証言は、現ピノキオの元の場所、という可能性が非常に高いと思います。
ではおやすみなさい。
Re: 街角情報センター
いつもありがとうございます。
本指摘と今泉さんのブログの記事でほぼ場所は判りました。
http://blogs.yahoo.co.jp/fumihiko_imaizumi/4830152.html
写真が載っていますが、仁瓶薬局、桝屋綿店とあり、その左側が
鍵屋玩具店さんとなっていて、ここが昔の万屋本店(支店もあった)
でしょう。現在はカギヤ楽器さんの駐車場かまちかど情報センター
の駐車場です。
鍵屋さんは問屋さんが玩具と楽器の店になり、玩具店がピノキオさん
となって場所も移動したのですね。
おそらく名前がピノキオとなったが、しばらくは鍵屋玩具店ともいわれ
ていたのでしょう。場所の移転に伴って正式に名前を掲げたと推測します。
ありがとうございました。長年の疑問が氷解しました。
この冬もまた「坂の上の雲」放送されるのでしょうね。3年間もやって
くれるのですからこれを逃す手はないと思うのですが・・・。
カギヤ
おはようございます。
有難うございます。
私もすっきりしました。
今泉さんの写真始めてみました。自動車から見るに
戦前かと思いますが、素晴らしい情景ですね。
篠塚さんの洋館が町の中心のシンボルですね。
ここから森木町までずっとお店並んでいましたし、
鬼塚さんから石岡小に向かう総社の参道も店が
並んでいました。
小さいながら栄えた地方都市のイメージがあったのです。
レコード屋(カギヤ含め)3軒、本屋5件あった
ほどです。
また切なくなりました。
それでは

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