すばらしい観音像がお披露目された。
8月16日はかすみがうら市旧出島地区の先端にある歩崎公園で第25回目の「あゆみ祭り」が開催されました。
こちらのお祭りもかなり盛り上がって人もたくさん出ていました。
観光帆引き船・パラセーリング・カヌーなどのマリン行事に加えて、各地で行われている「よさこいソーラン」の踊りフェスティバルなど楽しいイベントが行われたようです。
しかし、私の興味はここ歩崎観音の本堂が33年に1度しか解放されてこなかったものを、今年からこのお祭りの時だけ開放すると聞いたことで、是非見てみたいと思ったのです。
資料館近くに高台に設けられた駐車場も車がいっぱいでした。
何とか駐車できて、観音堂へは上の北参道口から行きました。
境内にはテントが張られ、係りの人もおり、本堂にも案内の人が一人おられました。
参拝の人がパラパラやってくるほかは、カメラマンが数人入れ替わりにやってきました。
どうぞ、お入りになってご覧下さいというので、中に入って写真を撮らせていただきました。

ご本尊である「十一面観音像」です。
行基菩薩が彫った像を旅の僧がこの地に堂宇を建てて安置したといわれるものです。
素晴らしい十一面観音像です。奈良・京都以外でこのように美しい像を見たことがないと思います。

三脚を使わず、フラッシュを使わないので写真が手ぶれしてしまい、残念な写真となりましたが、この像の存在を是非知っていただきたいと思います。
1mほどの像ですので、奈良の十一面観音などに比べれば大きくはありませんが、いつまでも眺めていたいお姿です。
しかし観音堂の三面を開放していますが、採光の工夫ももう少し工夫が必要です。
この十一面観音をみて、私が学生時代に奈良桜井にある「聖林寺」の十一面観音の前に座ってじっと眺めていた頃のことを思い出しました。
そんな懐かしさを思い出させてくれました。感謝です。

形は正しく真言宗豊山派の長谷寺式の十一面観音です。
「左手には蓮華を生けた花瓶を持ち、右手には大錫杖を持っている」
何故このような像がまだ作られたばかりのような美しい姿を残しているのか・・・。
33年に1度の開帳も悪くはないと感じてしまいました。

係りの方にお話を伺いましたところ、33年ごとの開放では文化財の申請もできないのだそうです。
年1回の一般への開放をすることでこれから文化財などにも指定されてくるのでしょう。
現在この本堂も地震で後ろに傾いてしまい、丸太で支えています。
湿度管理なども是非専門家も入って、長年この姿を維持管理して欲しいものです。

お祭りにたくさんの人が広場には集まりますが、このような貴重な像を見ることができるのに、この高台の観音様に会いに来る方が少ないのは不思議なことですね。

さて、31年振りの開放によって、見たいものがまだ2つあったのです。
その一つは「黄金で造った機織機」です。
1182~3年頃、竜女がお産に苦しんでおりました。その時この観音様に願掛けします。
「このお産が無事にできれば黄金で機織り機を造って奉納いたします。どうか無事に子供が生まれますように!」と。
願い通り安産となった竜女は約束通り、金の機織り機を奉納したといわれています。
これは一体どこに行ったのでしょうか?見当たりません。
係りの人に聞いてみました。
昔はあったそうですが、「東京へ持ち出してから行方不明のようだ。」というのです。
本尊のとなりに置かれた桐の箱が空かないので、壊すこともためらわれたのでそのまま展示している。
もしかしたらこの中にあるのではないか?とのこと。
レプリカは残されているそうですが、本物も机に乗るくらいのあまり大きなものではないそうです。
もう一つ見たいものがありました。
それは石岡の三村地区近くの「正月平」に伝わる話です。
源義家(八幡太郎)と父の頼義親子が前九年の役で、奥州に向かう途中でこの地で正月を迎え、住民から温かいもてなしを受け、大いに感激し「黄金のはたし」を感謝の印として残したとされるものです。
江戸時代までは正月平の地元にあったが、それをこの歩崎観音に奉納したとされるものです。
私はこの桐の箱にこの「黄金のはたし」(どんなものかわかりません)が収められているように思います。
係りの人に話をしてみましたが、そのようなものがここに残っていることもご存知ではありませんでした。
像の制作年代もしっかりと検証して、桐の箱の中身もよく調べていただきたいものです。
行政の区分がここの「かすみがうら市」と正月平は「石岡市」に
分かれておりますので、このような話が伝わらないように思います。

正面の建物が観音堂です。
写真を撮っている時も中には4~5人の方が見学していました。

手前の仁王門もとてもいい姿ですね。
これも前に書きましたが、日光東照宮の造営の後に、名工の一人が1534年に仁王像を彫って奉納したと伝えられるものです。

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こちらのお祭りもかなり盛り上がって人もたくさん出ていました。
観光帆引き船・パラセーリング・カヌーなどのマリン行事に加えて、各地で行われている「よさこいソーラン」の踊りフェスティバルなど楽しいイベントが行われたようです。
しかし、私の興味はここ歩崎観音の本堂が33年に1度しか解放されてこなかったものを、今年からこのお祭りの時だけ開放すると聞いたことで、是非見てみたいと思ったのです。
資料館近くに高台に設けられた駐車場も車がいっぱいでした。
何とか駐車できて、観音堂へは上の北参道口から行きました。
境内にはテントが張られ、係りの人もおり、本堂にも案内の人が一人おられました。
参拝の人がパラパラやってくるほかは、カメラマンが数人入れ替わりにやってきました。
どうぞ、お入りになってご覧下さいというので、中に入って写真を撮らせていただきました。

ご本尊である「十一面観音像」です。
行基菩薩が彫った像を旅の僧がこの地に堂宇を建てて安置したといわれるものです。
素晴らしい十一面観音像です。奈良・京都以外でこのように美しい像を見たことがないと思います。

三脚を使わず、フラッシュを使わないので写真が手ぶれしてしまい、残念な写真となりましたが、この像の存在を是非知っていただきたいと思います。
1mほどの像ですので、奈良の十一面観音などに比べれば大きくはありませんが、いつまでも眺めていたいお姿です。
しかし観音堂の三面を開放していますが、採光の工夫ももう少し工夫が必要です。
この十一面観音をみて、私が学生時代に奈良桜井にある「聖林寺」の十一面観音の前に座ってじっと眺めていた頃のことを思い出しました。
そんな懐かしさを思い出させてくれました。感謝です。

形は正しく真言宗豊山派の長谷寺式の十一面観音です。
「左手には蓮華を生けた花瓶を持ち、右手には大錫杖を持っている」
何故このような像がまだ作られたばかりのような美しい姿を残しているのか・・・。
33年に1度の開帳も悪くはないと感じてしまいました。

係りの方にお話を伺いましたところ、33年ごとの開放では文化財の申請もできないのだそうです。
年1回の一般への開放をすることでこれから文化財などにも指定されてくるのでしょう。
現在この本堂も地震で後ろに傾いてしまい、丸太で支えています。
湿度管理なども是非専門家も入って、長年この姿を維持管理して欲しいものです。

お祭りにたくさんの人が広場には集まりますが、このような貴重な像を見ることができるのに、この高台の観音様に会いに来る方が少ないのは不思議なことですね。

さて、31年振りの開放によって、見たいものがまだ2つあったのです。
その一つは「黄金で造った機織機」です。
1182~3年頃、竜女がお産に苦しんでおりました。その時この観音様に願掛けします。
「このお産が無事にできれば黄金で機織り機を造って奉納いたします。どうか無事に子供が生まれますように!」と。
願い通り安産となった竜女は約束通り、金の機織り機を奉納したといわれています。
これは一体どこに行ったのでしょうか?見当たりません。
係りの人に聞いてみました。
昔はあったそうですが、「東京へ持ち出してから行方不明のようだ。」というのです。
本尊のとなりに置かれた桐の箱が空かないので、壊すこともためらわれたのでそのまま展示している。
もしかしたらこの中にあるのではないか?とのこと。
レプリカは残されているそうですが、本物も机に乗るくらいのあまり大きなものではないそうです。
もう一つ見たいものがありました。
それは石岡の三村地区近くの「正月平」に伝わる話です。
源義家(八幡太郎)と父の頼義親子が前九年の役で、奥州に向かう途中でこの地で正月を迎え、住民から温かいもてなしを受け、大いに感激し「黄金のはたし」を感謝の印として残したとされるものです。
江戸時代までは正月平の地元にあったが、それをこの歩崎観音に奉納したとされるものです。
私はこの桐の箱にこの「黄金のはたし」(どんなものかわかりません)が収められているように思います。
係りの人に話をしてみましたが、そのようなものがここに残っていることもご存知ではありませんでした。
像の制作年代もしっかりと検証して、桐の箱の中身もよく調べていただきたいものです。
行政の区分がここの「かすみがうら市」と正月平は「石岡市」に
分かれておりますので、このような話が伝わらないように思います。

正面の建物が観音堂です。
写真を撮っている時も中には4~5人の方が見学していました。

手前の仁王門もとてもいい姿ですね。
これも前に書きましたが、日光東照宮の造営の後に、名工の一人が1534年に仁王像を彫って奉納したと伝えられるものです。



貴重で素晴らしい十一面観音様ですね!
美しさ、神々しさに思わず溜息が漏れました。
つい何回も何回もお写真を見ていました ^^;
いつまでも大切にしてもらいたい観音像です!
素晴らしい十一面観音様のご紹介ありがとうございました。
> 貴重で素晴らしい十一面観音様ですね!
> 美しさ、神々しさに思わず溜息が漏れました。
そうですか。写真がイマイチなので。実物は素晴らしかったです。
久しぶりに興奮しました。
> 素晴らしい十一面観音様のご紹介ありがとうございました。
隠れていたお宝が見られて幸運でした。
寺と共に立地と景色に感心しましたが、この小さなお堂にこんな立派な観音像があるとは!驚きです。
厨子も大した物です。これほどのものは安全な博物館にでも置いて欲しいものだと思います。
それにしても各地のお祭りの情報をRomanさんはよく手に入れますね。
> 今年4月に出島方面に行く機会があったとき、Romanさんの記事で興味を持っていたので歩崎山を訪れました。道路側からは本堂の左手に出る細い道を通って境内に入れるんですね。
何本も山道があります。左側の道はあまり使われていないので良くなかったでしょうね。
今回は後ろ側の北側から入りました。
> 寺と共に立地と景色に感心しましたが、この小さなお堂にこんな立派な観音像があるとは!驚きです。
> 厨子も大した物です。これほどのものは安全な博物館にでも置いて欲しいものだと思います。
そう見えますか。とても立派なものでした。やはりこの山に置くのはもったいないようだし、危ないかもしれませんね。
> それにしても各地のお祭りの情報をRomanさんはよく手に入れますね。
この情報は前のブログ記事に対して先日初めての方からコメントを頂いて知りました。
ブログをやっていて得することもありますね。
是非、来年の祭りの際にはお顔を拝見して参ります。
素晴らしい写真、有難うございました。
この展望台から日の出を見たら綺麗でしょうね。
31年前に見ていなければほとんどの地元の方も見られていないと思います。
貴重なすばらしい観音様でした。
是非来年はじっくり拝見されるるといいと思います。
予想をはるかに超えていました。
それにしても市の観光課のHPには最初はこの観音様の記事は載っていませんでした。
茨城県の行事を紹介する県のHPに記載されていたので、市に電話で確認したのです。