きんちゃく石(2)-露盤
昨日の記事の続きです。
「きんちゃく石」が置かれていた畑の草取りをされていた奥さんと会話しました。
私「写真を撮らせていただいてもよろしいですか?」
Aさん「はい、どうぞ。 今その周りの草をとりますね」
私「いいえ、このまでいいですよ。」「ここにあると分からずにお寺の方を探してしまいました。」
Aさん「そうですね。皆さんわかりにくいというので、この看板を立てたのです。」
私「ご自分たちでお立てになったのですか?」「確かにこれがあると分かりやすですね」
「この石を見に来られる人がありますか?」
Aさん「時々いらっしゃいますよ。この間も茨城大?の学生さんや研究者の方もこられました」
私「この石は、鬼が逃げた時に投げ捨てたきんちゃく石っていいますけど、大昔にあった塔の上の方につけていた重しなどと言われているみたいですね」
Aさん「この間来られた大学の人も廃寺の塔の礎石のようなものじゃないかといっていました」
私「そうですね、廃寺の礎石はこの向こう側の小見代公民館の近くと市内のお寺の方にいくつかあるそうですが、これは塔の真ん中の上の方に載せていたものらしいです。」
Aさん「よく調べられて、歴史がお好きなんですね。」
私「好きであちこち見て回っています。ここは茨城県名の発祥の地という茨城(バラキ)ですね。」
Aさん「茨城(バラキ)ですが、これも昔は城ではなく、木と書いて"茨木"となっていたんですが、いつの間にか県名と同じ「茨城」になってしまったんです。」
「それに、この石も通りの向こう側に昔はあったのをここに運んできたと聞いています。」
私「それは面白いですね。でもこんな大切なものを市では何かしないんですか?」
Aさん「特にないみたいです。市で保管してくれたらいいようにも思いますが・・・・」
とりとめのない会話でしたが、いろいろなことを教えていただきました。ありがとうございました。
さて、この五重塔の露盤についてはこの近くの貝地にある「平等寺」の横に地元のロータリークラブが設置した説明版と模型?が置かれています。
これを紹介します。

これが、その露盤ですが、綺麗すぎるのでこれはレプリカではないかと考えられます。説明はありません。

これが、この説明文です。わかりやすいのでこのまま載せました。
しかし、この露盤がにわかに今年注目され始めたのです。
それは東京スカイツリーのあの細くてスリムな塔の建築にこの露盤と同じようなものを使っているというのです。
日本の五重塔や三重塔は釘などを使わず、芯柱と塔の屋根部などとは固定されていないというのです。
そして一番上に穴のあいた石を芯柱にかぶせて、地震などで重心をズラして揺れを抑える役目をしているようなのです。
この塔の露盤がどのような役目をしていたのか、もう少し調べてみたいと思います。
(もう少し書きたいことがあるので、あすに続きます)

さて、この説明が書かれている場所のすぐ横には「景清塚」というお宮があります。
この小山は愛宕山ですから正式には「愛宕神社」です。

しかし、源平合戦で平家側の武勇者として名高い平景清が、この石岡の地で生れ、この近くの「室ヶ井」という湧水のところで産湯をつかったという話が残されています。
(正確なところはわかりません。各地に多くの話が残っています)
前に見に来た時になかった貝地公民館がすぐ近くに作られていました。
この愛宕山も周りが狭苦しくなってきた感じがしますね。
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「きんちゃく石」が置かれていた畑の草取りをされていた奥さんと会話しました。
私「写真を撮らせていただいてもよろしいですか?」
Aさん「はい、どうぞ。 今その周りの草をとりますね」
私「いいえ、このまでいいですよ。」「ここにあると分からずにお寺の方を探してしまいました。」
Aさん「そうですね。皆さんわかりにくいというので、この看板を立てたのです。」
私「ご自分たちでお立てになったのですか?」「確かにこれがあると分かりやすですね」
「この石を見に来られる人がありますか?」
Aさん「時々いらっしゃいますよ。この間も茨城大?の学生さんや研究者の方もこられました」
私「この石は、鬼が逃げた時に投げ捨てたきんちゃく石っていいますけど、大昔にあった塔の上の方につけていた重しなどと言われているみたいですね」
Aさん「この間来られた大学の人も廃寺の塔の礎石のようなものじゃないかといっていました」
私「そうですね、廃寺の礎石はこの向こう側の小見代公民館の近くと市内のお寺の方にいくつかあるそうですが、これは塔の真ん中の上の方に載せていたものらしいです。」
Aさん「よく調べられて、歴史がお好きなんですね。」
私「好きであちこち見て回っています。ここは茨城県名の発祥の地という茨城(バラキ)ですね。」
Aさん「茨城(バラキ)ですが、これも昔は城ではなく、木と書いて"茨木"となっていたんですが、いつの間にか県名と同じ「茨城」になってしまったんです。」
「それに、この石も通りの向こう側に昔はあったのをここに運んできたと聞いています。」
私「それは面白いですね。でもこんな大切なものを市では何かしないんですか?」
Aさん「特にないみたいです。市で保管してくれたらいいようにも思いますが・・・・」
とりとめのない会話でしたが、いろいろなことを教えていただきました。ありがとうございました。
さて、この五重塔の露盤についてはこの近くの貝地にある「平等寺」の横に地元のロータリークラブが設置した説明版と模型?が置かれています。
これを紹介します。

これが、その露盤ですが、綺麗すぎるのでこれはレプリカではないかと考えられます。説明はありません。

これが、この説明文です。わかりやすいのでこのまま載せました。
しかし、この露盤がにわかに今年注目され始めたのです。
それは東京スカイツリーのあの細くてスリムな塔の建築にこの露盤と同じようなものを使っているというのです。
日本の五重塔や三重塔は釘などを使わず、芯柱と塔の屋根部などとは固定されていないというのです。
そして一番上に穴のあいた石を芯柱にかぶせて、地震などで重心をズラして揺れを抑える役目をしているようなのです。
この塔の露盤がどのような役目をしていたのか、もう少し調べてみたいと思います。
(もう少し書きたいことがあるので、あすに続きます)

さて、この説明が書かれている場所のすぐ横には「景清塚」というお宮があります。
この小山は愛宕山ですから正式には「愛宕神社」です。

しかし、源平合戦で平家側の武勇者として名高い平景清が、この石岡の地で生れ、この近くの「室ヶ井」という湧水のところで産湯をつかったという話が残されています。
(正確なところはわかりません。各地に多くの話が残っています)
前に見に来た時になかった貝地公民館がすぐ近くに作られていました。
この愛宕山も周りが狭苦しくなってきた感じがしますね。


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