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あゝ石岡駅(3)

今日母をしばらくこちらで預かることになり、東京へ迎えに車で行ってきました。
ここ2・3日で紅葉が始まっています。桜などは葉が散り始めていました。
イチョウ並木も黄色くすっかり色づいた木や、まだ緑の木など様々です。
やはり時はまちがいなくやってきてまた去っていきます。
今日最終公演の「ことば座」(難台山城 落城哀歌」に少し遅れて行ってきました。
初日に比べすっかり息が合ってきています。
耳が聞こえない舞姫がリズムを取るのはかなり難しいだろうと思わされます。
でも、もうすっかりプロですね。
堂々とこの片田舎を脱出して羽ばたき始めるのも時間の問題だと思います。
「ふる里は物語の降る里」でもあります。しかし、いつまでも・・・。
来年2月には美浦村の陸平貝塚の会館で公演するそうです。

今日は横浜にいる娘も観劇させていただきました。とても好評でした。
母も小林さんは「耳が聞こえると思っていた」と驚いたようでした。
これからのご活躍を祈念しています。
 
 さて、今日は石岡駅の改札の上にかかげてある額についてです。
右から「石岡駅」と書かれており、少し暗い上の壁に架かっているので
目立たない存在です。
私もある期間は毎日通っていましたが、気が付きませんでした。

kanban01.jpg

この写真も暗い画像をやっと修正してUPしたものです。
これを書いたのは徳富蘇峰という人です。蘇峰の書から作られた扁額です。
蘇峰は徳富蘆花の兄にあたる人で、新聞社や政界にも大きな力を及ぼした人です。
アジアの解放を訴えて日本が侵略戦争に進む言論側の中心人物ともいわれ、現在では
その評価は分かれています。
戦後の昭和32年に94歳で亡くなるまで日本のジャーナリストとして偉大な足跡を残しました。
また徳富蘆花とは長いこと絶縁し、最後には和解したとも言われています。
しかし、当時日本が発展していくために大きな役割を果たした人なのです。
晩年は穏やかな人間的な面があらわれ、批判する人に反論するようなこともなく、偉大な
文人であることだけは確かです。
石岡駅に掲げられたのが何時なのか?
何時書かれたものなのか? わかりません。
しかし、石岡が明治後期から大正・昭和にかけてはかなりの大きな商都として力を持っていた
証しなのかもしれません。
文人「蘇峰」の名声は当時は大変なものだったと思われます。
今度駅を新しくする時には、是非説明をつけて皆が見れるように展示してほしいと思います。
 

あゝ石岡駅 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2010/11/14 18:15
コメント
往時
いやいや今度は蘇峰ですか。
またまたビックリです。

教えて頂いた往時の写真を見ると、洋風建築と見世蔵が連なった町並みだったのが良く分ります。
篠塚本店の前の街路灯のデザインなどため息が出そうです。
醸造業、木工、農産物集積などで財をなしたお
大尽がこういう町並み造りを支えたのでしょう。
見世蔵、洋風建築、看板建築、町屋が良く調和
した、多分当時の東京を精一杯意識したもの
だったよう思えます。
府中松平故のんびりとやっていても商売が成り
立って江戸期を通じて富を蓄積してこれたから
こんなこともできたのか?
稲吉屋も100年超えていますので、明治から戦前の
石岡って、私が思うよりはるかにモダンでリッチ
だったような気がしてきました。
勉強させていただいたおかげです。




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