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あゝ石岡駅(4)

 今日は石岡駅前に大きくかかげられている「茨城県名発祥のまち」の看板についてです。
駅の正面から見ると大きな看板ですので一度は目にされていることでしょう。

isiokaeki03.jpg

さて、私もこちらに来て最初の頃にこの看板を見て、ネットで探してバラキ(茨城)台団地
の近くに案内板があると書かれているのを見つけて、探しに団地の入口付近を何度となく探しました。
しかし見つからなかったのです。
そこで、駅の横にある観光案内所に入って案内板の場所はどこかを尋ねたのです。
すると案内所の女性の方が「高浜街道のスーパーの前辺りにありますよ。」という。
また、看板に書かれている内容からか「山の佐伯と野の佐伯という土ぐもを黒坂命(くろさかのみこと)
が滅ぼした」うんぬん・・・といかにもどうだといわんばかり。
悪気は無いのはわかっているが、そんな話を聞きたかったのではなかったのだが・・・・。
石岡の人はこの話をどのように理解し人に伝えることができるのだろうか?
行ってみると、スーパーの前には字が薄くなり読み取るにはかなり苦労するくらいの看板があった。
道理で見つからないわけだなどと思ったものだ。
茨城の名前の由来は種々説があることはぼんやりと聞いて知っていたが、これを新しく書き直すのは
市としても気が引ける気持ちだと思っていた。
ところが今年案内板が新しくなった。書かれている内容は下記である。

kenmei.jpg

これを読んで正しく理解できるでしょうか?
常陸風土記で佐伯とか土ぐも(国巣)というのは、その昔この辺りに住んでいた原住民(蝦夷人?)
を指していることは明らかなのです。
それを土ぐもとまるで人間ではないかのごとく、大和朝廷の考え方が書かれているにすぎません。
かれらは、侵略者(大和人)に住居を荒らされ、奴隷のように使われ、南の方へ砂鉄や、砂金など
の採掘に使われたと推測されます。
また、8世紀に書かれたとされる「常陸風土記」は当時大和朝廷が支配出来ていない蝦夷(陸奥)
征伐に力を注いでいた時代なのです。
この看板は書かれていることが偏っており、重大な過ちを犯しているのに気がつかないようです。
今では、昔この辺りにはバラが生い茂っており、野蛮なサルのようなすばっしっこくてずるい土蜘蛛
が穴を掘って住んでいて、これをバラの刺で傷つけて退治したのだと思ってしまいます。
また、確かにこのバラキ(茨城)という地名にもあるようにこの近くに「茨城廃寺」という寺があった
といいます。また「茨城寺」などと書かれたものも出土しているそうです。
しかし、当時の行政府で茨城郡と呼ばれたところは友部近くの「小原」といわれており、ここから
石岡に郡の中心が移ってきたという歴史が存在します。
これは「茨城」発生の地(茨城郡と最初に呼ばれた中心)は「小原」ということを意味します。
もともと「茨城」は「うばらき」または「うばら」でもあり、「小原」の名前になったということも
うなずける話です。
あまり歴史学者でも諸説があるようですから詳しくはわかりませんが、土蜘蛛などとの表現はもう少し
変更するか「国巣」として、それに説明を加えるくらいはすべきだと思っています。
また、私は明治の初めの廃藩置県で「茨城」と泥臭い県名に決まったのも、水戸藩の名前や勢力を
そぐことがその背景にあったと推測しています。
もしもう少しましな県名になっていたら・・・・。
東京の人に最も人気のない県にはなっていなかったと思っています。

石岡駅には「平家発祥の地」または「平家ゆかりの地」などという看板を大きく掲げる方が良いと
思います。よほどインパクトもあります。
再来年は平清盛がNHKで放送されるのですから先手を打たねば効果が半減します。
看板を掲げて、そのお披露目を盛大にブラスバンドなどでやる。新聞に投げ込みをする。
記念のマラソン大会を行ない、昔あったという茨城3大マラソンを復活する。
如何でしょうかね・・・。
ほんとに知られていないのが不思議なくらいなのですから・・・・。
 


あゝ石岡駅 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/11/15 19:04
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