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つくば市北条(7)-無量院

 つくば市北条地区を散策した時の記事を載せていますが、この地区は江戸時代から残る商屋、店舗、蔵なども多く残されています。

そして、徳川の鬼門の方角(丑と寅の間の方向=東北方向)の守り処として筑波山の「中尊寺」が手厚く扱われて、この筑波山中尊寺、筑波山神社の門前町として賑わったようです。
家光の時に現在残されている多くの文化財が造られたわけで、この工事にあたってもここから山に登る道が開かれたようです。

明治になって寺が取り壊されて、現在の筑波山神社だけが残され、後から大御堂を古民家を移築して寺を再建をしたと聞いています。

さて、このため、一般に、北条の歴史の説明はこの江戸時代の面影を追い求めすぎているように思います。
しかし、多気(たけ)氏6代に渡る歴史があちこちに残されてもいるようです。
多気氏がここで勢力を張っていたのは、西暦990年頃から1192年の約200年間です。

多気太郎の墓と言われる五輪塔のすぐ北側の山(多気城があった?)の麓に梅松山光明寺「無量院」(時宗)というお寺があります。

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少し山の方に登っていったところの左側にあります。

現地の説明板によれば下記。 あまりそのまま載せてもどうかとも思うが・・・。

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多気氏が滅んですでに800年以上が経ちますが、今でもこの寺では多気氏を慕っているのがわかります。

先日紹介した「日向廃寺」が焼けてしまったが、この廃寺がこの無量院であったという話もあるようです。

 当初は天台宗だったが、呑海上人がこの寺を訪れ、多気太郎を供養し、時宗に改めたという。

このちに移ったのは、嘉暦年間(1326~1328)に現在地に移ったという。また本堂は200年以上たったものだったそうですが、2004年に建て直したものだそうです。

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「北条さんぽ」の地図には、この寺に「石造多層塔」があると書かれていました。
そこで寺の裏に回ってみるとありました。

説明を書くのが面倒なので、書かれているものを写真に撮ってそのまま載せます。

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何故この寺に? と思いましたが。
これは1361年に建立された塔で、小田氏の家臣中久木家の墓地にあったものを移したようです。
このあたりは、多気氏が滅びた後に小田氏が1590年頃まで勢力を張っていたようです。

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無量院の入口に、小さなお宮が2つ置かれています。
向かって右側が「多気天神」で、左側が「多気稲荷神社」となっています。

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この「多気稲荷神社」と「多気天神」はともに、昭和61年2月再建されたと碑が置かれていました。

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多気天神さんは雨乞いの神様で、昭和初期までは雨乞いの行事も行われていたようです。

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無量院に登る坂道に「宝寿坂之碑」が建てられていました。
当然何かいわれがあるのでしょうね。
でもちょっと調べただけではわかりませんでした。
でも、知りたいと思っていれば、きっとそのうちに分かるでしょう。

take05.jpg

この無量院から南の北条の街の方を見下ろしたところです。
この方向に「多気太郎の五輪塔があります。

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つくば市北条 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/09/20 20:36
コメント
北条
筑波山をうしろに控えた北条については全くテリトリー外ですが、多気城があったという小山はなるほどとおもわせる築城に良い場所ですね。
こんないい城があれば換言で落とされても一戦交えて…という思いも無かったかな、と思います。しかし源のナントカが鎌倉から軍勢をひきいて奥州へ行った時代だと思えば、それを目にしてとても鎌倉といくさをするなどありえず滅びたのでしょうか。感じるものがありますね。
Re: 北条
忠顕さま

> 筑波山をうしろに控えた北条については全くテリトリー外ですが、多気城があったという小山はなるほどとおもわせる築城に良い場所ですね。

この地は筑波山の周辺ということで今まで見てきていましたが、今回足を運んでみて意外なつながりに興味が行ってしまいました。
そんなに広い地域ではないのですが、地元の特に筑波学園都市の研究者や学生たちにも人気が出ているようです。
ただ、残念なことにその人たちの興味の主体がズレており、今までこちらも関心がなかったように思います。

> こんないい城があれば換言で落とされても一戦交えて…という思いも無かったかな、と思います。しかし源のナントカが鎌倉から軍勢をひきいて奥州へ行った時代だと思えば、それを目にしてとても鎌倉といくさをするなどありえず滅びたのでしょうか。感じるものがありますね。

もう800年以上前ですし、その後400年近く小田氏の影響を受けていると思うのに、多気氏への思いがこんなにも残っていることが驚きでした。

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