石岡のおまつり(5)
9月15日から3日間、地元石岡で行われたおまつり。
3日間毎日ホットなところを載せようとバタバタと写真や記事を書いた。
そして、そこで終わるはずだった・・・・。
でもネタも切れそうなので、もう少し載せておきます。
このおまつり、毎年見物客が40万人というけどどこかで調べているのかわからない。
いつまでたっても人数は同じなのだ。
また関東三大祭りとネットを検索すると必ずヒットする。
ある程度認知されたといっても良いのかもしれない。
三大祭りが「どことどこ?」なんて野暮な質問は無用に願いたい。
元気があって、強く主張したところにその権利が与えられるのだから。

石岡の街は祭りになると、普段人が立ち寄るのをほとんど見かけないお店が行列を作るくらい繁盛するところがある。
祭り関連の用具を扱うお店です。
ここは普段は学校の制服などを主に扱っているお店ですが、祭りの前には各種祭りの着物、洋服、はっぴなどいろいろなグッツが売られているようです。
お祭り当日はそれほど人はいません。
もう皆さん用意ができてしまっていますから。

お祭りは年番制度があって、その年に当たったところはみなさんお負担も大きいし、更にこのように子供の着るものだってばかになりません。
だって、子供達だって、祭りになればみんなとても格好がいいのが好きなのです。

さて、このお祭りは「常陸国総社宮」のお祭りということになっています。
しかし、山車がたくさん出ますのでいわゆる八坂神社などの祇園祭の様式です。

祭り中日の2日目は、この総社宮で、石岡染谷地区の佐志能神社に300年ほど前から伝わる伝統神楽「染谷十二座神楽」が演じられます。
正式なものは佐志能神社で4月に夜行われるものです。
街中の通りでは祭りが華やかに行われていますので、こちらに来る人は少なめです。

神話に基づいた十二の神楽を演じますが、見ものは小学生が演じる巫女舞でしょうか。

さて、この総社の神様は初日に神輿に乗って、年番である金丸町の御仮屋に行っています。
しかし、この祭りのあいだにここに来て祈祷してもらう人が結構います。
この拝殿奥には、白い獅子頭が左右に置かれています。
本殿はこの奥にあるのですが、神様はまだここにおられるようです。
不思議に思ったのですが、お祭り時は神様はいくつにも分身することができるようです。

お祭りの方の写真も少しUPします。
子供はいつも生き生きしていていいですね。

御仮屋のところが少し坂なので、幌獅子をおすのも一苦労です。

獅子頭は大きいですね。20kgくらいはありそうです。
でもお祭りの写真はたくさんの方が載せてくれているのでそちらも見てくださいね。
(kurokenさん、troyさん、竹千代さんみなさんありがとう)

それから、最後に明治35年に設定された年番制度の順番表を記録として残しておくために入れておきます。
木之地の会所に貼ってあったものです。いまは木之地は年番から脱会しています。
← よろしければクリックお願いします。
3日間毎日ホットなところを載せようとバタバタと写真や記事を書いた。
そして、そこで終わるはずだった・・・・。
でもネタも切れそうなので、もう少し載せておきます。
このおまつり、毎年見物客が40万人というけどどこかで調べているのかわからない。
いつまでたっても人数は同じなのだ。
また関東三大祭りとネットを検索すると必ずヒットする。
ある程度認知されたといっても良いのかもしれない。
三大祭りが「どことどこ?」なんて野暮な質問は無用に願いたい。
元気があって、強く主張したところにその権利が与えられるのだから。

石岡の街は祭りになると、普段人が立ち寄るのをほとんど見かけないお店が行列を作るくらい繁盛するところがある。
祭り関連の用具を扱うお店です。
ここは普段は学校の制服などを主に扱っているお店ですが、祭りの前には各種祭りの着物、洋服、はっぴなどいろいろなグッツが売られているようです。
お祭り当日はそれほど人はいません。
もう皆さん用意ができてしまっていますから。

お祭りは年番制度があって、その年に当たったところはみなさんお負担も大きいし、更にこのように子供の着るものだってばかになりません。
だって、子供達だって、祭りになればみんなとても格好がいいのが好きなのです。

さて、このお祭りは「常陸国総社宮」のお祭りということになっています。
しかし、山車がたくさん出ますのでいわゆる八坂神社などの祇園祭の様式です。

祭り中日の2日目は、この総社宮で、石岡染谷地区の佐志能神社に300年ほど前から伝わる伝統神楽「染谷十二座神楽」が演じられます。
正式なものは佐志能神社で4月に夜行われるものです。
街中の通りでは祭りが華やかに行われていますので、こちらに来る人は少なめです。

神話に基づいた十二の神楽を演じますが、見ものは小学生が演じる巫女舞でしょうか。

さて、この総社の神様は初日に神輿に乗って、年番である金丸町の御仮屋に行っています。
しかし、この祭りのあいだにここに来て祈祷してもらう人が結構います。
この拝殿奥には、白い獅子頭が左右に置かれています。
本殿はこの奥にあるのですが、神様はまだここにおられるようです。
不思議に思ったのですが、お祭り時は神様はいくつにも分身することができるようです。

お祭りの方の写真も少しUPします。
子供はいつも生き生きしていていいですね。

御仮屋のところが少し坂なので、幌獅子をおすのも一苦労です。

獅子頭は大きいですね。20kgくらいはありそうです。
でもお祭りの写真はたくさんの方が載せてくれているのでそちらも見てくださいね。
(kurokenさん、troyさん、竹千代さんみなさんありがとう)

それから、最後に明治35年に設定された年番制度の順番表を記録として残しておくために入れておきます。
木之地の会所に貼ってあったものです。いまは木之地は年番から脱会しています。


二日目の奉納見たかったなあ、
以前といっても三十年くらいまえですが、
奉納相撲から神楽まで一式見ていたことがありました。
あれはいいもんですよねー(≧▽≦)ノ
以前は、山車の狐ばかり目が行って撮っていたのですが
今回は一枚も狐もささらも撮ってませんでした
趣味が変わったのでしょうね(^^ゞ
> 二日目の奉納見たかったなあ、
> 以前といっても三十年くらいまえですが、
> 奉納相撲から神楽まで一式見ていたことがありました。
> あれはいいもんですよねー(≧▽≦)ノ
前にも言っていましたね。30年も前だったのですか。
こんなのも石岡の祭りならではですね。
これはこれでいいもんだと思います。
> 以前は、山車の狐ばかり目が行って撮っていたのですが
> 今回は一枚も狐もささらも撮ってませんでした
> 趣味が変わったのでしょうね(^^ゞ
趣味はGrade Upしていますね。
狐やささらは最初は目がいきますが、祭りは人の表情や仕草ですよね。