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地球の丸く見える丘(3)

 昨日はこの地球の丸く見える丘展望台の上から眺めを写真で単に紹介したのみでした。
まったく手抜きですよね。

でも昨日はまた銚子に行っていて戻ったのは7時過ぎ。まあこんな調子ですからこの程度で胡麻化していました。
でもこの場所はただの観光場所として見ていたのですが、少しいくつか違った目で見てみると興味が湧いてきました。

今日は、世田谷の用賀の方に用事があり車で出かけて夕方戻りました。
お盆前でしょうか、それともいつもの事なのかどうかわかりませんが、高速道路もかなり渋滞し、事故も見ました。
そのため、予定よりも1時間近くも遅れて到着。暑い中運転手さんは大変ですね。
私の方は疲れました。

  ではこの展望台周辺で気になったところを調べながら記事を書いてみたいと思います。

まずは、この展望台の壁面にはその方向の地名などが記されていますが、筑波山も載っていましたが、フィリピンと書かれたプレートが目につきました。

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さあ、海の向こうのフィリピンが見えるのでしょうか。

展望台の建物の横に「日比友愛の碑」というモニュメントがおかれています。

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銚子市はフィリピンのマヨン山を有するレガスピー市と姉妹都市契約を締結しています。
しかし姉妹都市の提携は昭和60年のことで、この「日比友愛の碑」が出来たのは昭和33年です。

この碑が日本とフィリピンの戦争による過去の過ちを繰り返さないようにフィリピンのマヨン山に向かって建てられたのは、それまでも銚子とフィリピンが友好関係にあったことによるようです。

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フィリピンのマヨン山(2462m)は富士山と同じような姿の山で、マニラ富士とも呼ばれています。
写真は(こちら)をクリックして下さい。 リンク先で見られます。

しかし、この山は活火山で、時々噴火(過去400年で50回噴火)して多くの被害をもたらしました。
最近では1993年に噴火による火砕流で70人以上の死者が出ています。


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碑文:内閣総理大臣 岸信介 と カルロス・P・ガルシア大統領のサイン

その隣には陸軍報道班員だっと寺下辰夫の詩

             雲へだつ 

             ふたつの国の同胞が
 
             互の慨き のり越えつ

             緊く結びし 心とこころ

             友愛の浄火 仄々と 

             永劫不滅に 

             あゝ 燃えにぞ燃えよ


                    寺下 辰夫

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 碑 文  

撰文 尾﨑士郎

此処に、われ等が恩讐を絶する日比両国の戦友百数十万の霊を
慰むるための記念塔を立てる。
悲しき歴史の運命について、われ等は今日言うべき言葉もない。
この儚き民族の夢の影もなく消えていったあとに、祖国の難に殉
じて倒れた魂の、声なき声を、われ等は心の底に聴く。
希うところは、唯、この微かなる響きを透して、あたらしき民族の
生命の芽生えんことのみである。愛情の最後の一滴を捧げつくし
て、侘しく滅びていった同胞の御霊よ。
此処に永恒をつらぬく悲しき思いを、世界平和を築く荘厳なる理想
と抱負に託して、こころしずかに眠れよかし。

   昭和三十三年五月中浣

 
 日比友愛の碑建立委員会

銚子がフィリピンとこのような関係にあることは知りませんでした。
今、この千葉県の東端(日本の東端)である銚子は、人口の減少率が千葉県では一番のようです。

水産や醤油産業だけでは、東京からは鉄道でも遠くこれからの過疎化が深刻になって来ています。
今、この町に近づくと高台に何台もの風車が立ち並ぶ光景は、遠くからでも見ることができます。

私もここに来るまではあまり興味をもっていなかった銚子ですが、この地が銚子口と言われて漁場の宝庫で江戸の魚の多くが水運でここから運ばれていたことなどにも想いを馳せています。

また、日本酒も熱燗して飲むことも若い人は減ってしまい「お銚子」などといってもピンとこない人もいますよね。
私も銚子というと徳利の事だと思っていたのですが、本来は違うようです。
銚子は長い柄のついた金属製の酒を注ぐ口の付いた容器なのだそうです。

でも千葉県の銚子は昔「銚子口」と言われていたそうです。


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銚子 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/08/07 19:34

地球の丸く見える丘(4)

この地球の丸く見える丘展望台のある愛宕山は標高73.6mしかありませんが、北総台地最高峰です。

この場所が地質学的には少し興味深い場所だということがわかりました。
銚子の海岸よりの史跡などに行くと「シオパーク」という説明看板が目立ちます。

この展望台のある場所にも看板がありましたので少し紹介します。

「銚子ジオパーク推進協議会」がまとめ「千葉科学大学」が制作しています。
この大学は前に紹介した「屏風岩(屏風ヶ浦)」(こちら)の入口海岸にあります。

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地層をそのできた年代で3つに分類しています。
この最も古い部分が先端の手のこぶしの部分(A)でジュラ紀の地層です。

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この愛宕山の部分がこぶしエリアで最もとんがった高い場所です。そしてその中でも一番古いジュラ紀の地層なのだそうです。

香取から前の貝塚などのある腕の部分(Bエリア)がその次に古い場所。

利根川の周りのエリアCの地域は縄文海進では水面以下で15万年前位以降の地層だそうです。

なんとなくわかってきたようです。

詳細は下の説明写真をクリックして拡大して見て下さい。

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この展望台のあるのは標高73.6mの愛宕山(正式には高神愛宕山)です。
そのため、この頂上に三角点が置かれています。これがかなり古いのです。
そしてかなり重要な役目を負っています。

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良く読んでみて下さい。何か感じませんか?
何気なしに書かれていますが、これってかなり重要な事だと思います。

三角点の名前が「高神村(こうじんむら)」と言うのも面白いですね。

昔からあるこの地層の頂点を基準として日本の地形の変化を量る基点になっているようなのです。
これってすごい事ですよね。

今ではGPSがあるから関係ない? 確かにそうかもしれないけど・・・。

でも考えると結構楽しい。

また、明治38年に田山花袋が犬吠崎に国木田独歩を見舞いに来て、この愛宕山にのぼったと「写真」という小説に書いてあるそうだ。
それによれば、この三角測量台の傍に戦時の展望哨が置かれてあると書かれている。

いろいろ想像して楽しみましょう。

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これがその三角点です。

この山の地層が愛宕山層群で「高神礫岩」とよばれるジュラ紀の化石などが多く出土しているのだそうです。
約3億年前くらいまでさかのぼれるそうですからすごいですね。

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三角点の横に「愛宕神社」があります。たんに、石造の祠と玉垣があるだけですが、道路から展望台に登る入口の両側に石の灯籠がおかれています。

これも神社の入口燈籠らしいのです。

この石灯籠は「愛宕燈籠」と呼ばれています。

江戸時代には、火難除けの「愛宕信仰」が盛んで、ここから村々の代表が年に一度、京都の「愛宕神社」へお参りしてお札をもらって帰って来て、それを各戸に配ることが行われてきたそうです。

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銚子 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/08/08 19:54

地球の丸く見える丘(5)

千葉県銚子の地球の丸く見える丘の5回目です。
ここを5回にわたって紹介するとは最初は思っていませんでした。

今日が最後です。

今日はここの展望台に登る途中におかれていた次の立て看板について少し調べてみました。

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登り坂の途中におかれていました。書かれている内容は下記です。
まあこんなものもあるのだと思っただけでしたが、調べると面白い事も出てくるものです。

でも記事を書く時間がどうしても足りない。
こんなに暑いと全く書く気もしなくなるしパソコンを打つ手も進まない。

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内容は、ここの銚子にある小学校がNHKの教育番組(小学高高学年向けの道徳番組)である「あしたへジャンプ」のモデル校に選ばれて、1年間放送された。

その時の生徒たちの想いなどを書いた手紙をタイムカプセルにしてこの場所に埋めたようです。

調べてみると、このあしたへジャンプは小学校の道徳の時間の教材として使われたそうですが、私の小学校時代はこんなテレビなどという洒落たものは学校にはもちろんありませんでした。

いくつかのシリーズがあるようなので、このあしたへジャンプは約10年間各地の地方の学校を1年おきくらいにモデル校として使われたようです。この銚子の学校は開始から3年目くらいのモデル校でした。
その時の子供達は今はどれくらいになっているのでしょうか?

平成元年ですからすでに25年が経過しています。30代半ばでしょうね。

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さて、このモデルとなったのは「高神小学校」です。そうこの山のある村の名前の小学校です。
明治9年創業です。
現在はこの展望台の山の下の方の少し海岸方面にいった辺りにあります。

この展望台の下に広い公園があります。
先日コスモスとアジサイのコラボレーションとして写真を紹介したところです。

その公園の登り口に上のような石碑がおかれていました。
この公園のあった場所にこの小学校が昔あったのです。

調べてみると、1964年(昭和39)まで、この小学校がここにあったのだそうです。
小学校のHPの沿革には載っていないので探すのに苦労してしまいました。

そして、地元の方は特区に御存じなのでしょうが、この小学校のあった敷地に遊園地(犬吠オーシャンランド)ができたそうです。

それもプールが5つにゴーカート、海の生活館の展示施設など本格的なレジャー施設だったそうです。

1973年(昭和48)に開園され、施設の老朽化の為に1989年(平成元)に閉鎖されたそうです。

当然地元の人はご存じでしょうね。でも何も書かれていないので他所から来た人は知る由もありません。

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現在この公園には季節の花々と銚子市内にある点在しているいくつもの文学碑のレプリカをここに作ってここを一回りするだけで銚子所縁の文学者などを紹介しようとしています。

これは市民にアイデアを募集して決まったものだそうです。

上の写真は「竹下夢二」の碑です。

  宵待草

 まてど暮らせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は 月も出ぬさうな

これは、夢二が海鹿島海岸にひっそりと咲き乱れる宵待草によせて、わが身の悲恋をうたったものなのだそうです。

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こちらは国木田独歩の詩碑です。

「なつかしき わが故郷は何処ぞや  彼処にわれは 山林の児なりき」

国木田独歩は銚子に生まれました。生い立ちを見てみるとかなり興味をひく内容でした。

父の国木田専八が銚子沖で船が沈没し、銚子の旅館(吉野家)に奉公していた淡路まんと仲良くなり生まれたというように伝わっています。しかし謎も多いようです。

小さい時に銚子を離れていますが、銚子には何度も足を運んでいますし、病気療養にも来ています。

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こちらは、牛久沼でも河童でおなじみの小川芋銭(おがわうせん)の句碑です。

「銚子灘朝暾(ちょうとん) 大海を飛びいつる如と 初日の出」

芋銭が初めて銚子を訪れたのは大正12年で、55歳の時だそうですが、ここの海鹿島が気に入り9回も訪れたのです。

調べてみると、私のいる石岡にも大いに関係していました。

芋銭はこの銚子には、後援者であった石岡の高浜の運漕業を営む篠目八郎兵衛が自分の別荘を勧めて、海鹿島にあった篠目家の別荘に滞在したのです。

その後もまたこの別荘に来て、「潮光庵」(ちょうこうあん)と名付けたそうです。

高浜はその当時霞ヶ浦の水運でかなりの勢いがあり、この篠目八郎兵衛についても以前に石の仁王像を船で運んだとして記事にしています。(こちら

こうしてつながってくるとその当時の事が徐々にはっきりしてきますね。

銚子市内にはまだまだ文学碑がたくさんあるそうですが、この場所には4つだけレプリカを設置しているようです。

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銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/08/09 21:37

犬吠埼(1)-白い灯台と白いポスト

 先日銚子に少し早めに言って先端の犬吠埼に行ってきました。

昔、行った時のことはほとんど覚えていません。

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この高台の下は白亜紀層の岩が露出した岩場です。周りに遊歩道がついています。

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こんな真っ白な灯台だったのですね。

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上の展望台まで99段の階段を登らなければいけないようです。

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ここに来るまで途中寄り道をして時間がなかったので中には入りませんでした。
入場料が200円かかると書いてありました。

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それより変ったものを発見しました。
入口に灯台と同じ真っ白い郵便ポストがありました。
「郵便は世界を結ぶ」だそうです。

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このポストは昨年3月のホワイトデーに設置されました。

神栖町に保存していた旧型(1960年製)の赤いポストを白く塗ったのだそうです。

ちゃんと赤いポストと同じように郵便を出すことが出来ますよ。

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銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/09/25 18:57

犬吠埼(2)-白亜紀海岸

 犬吠埼の続きです。
灯台の建つ台地の広場に遠く海の向こうを眺められるような石碑が建っていました。

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「犬吠埼・ロカ岬友好記念碑」

ロカ岬はポルトガル/シントラ市にあります。

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1993年にポルトガルとの友好を記念してポルトガル産大理石であるピンクのオーロラ石に「風と光と土と水 引き継ぐものは美しい」と刻みこの場所の建立しました。

「海終わり 陸始まる」と書かれています。

前に私の記事(こちら)にフィリピンとの友好の碑を紹介しました。ちょっと複雑な思いに駆られました。

この碑も前に建ってみた時に何が書かれているかがその場では判断できませんでした。
写真を解析して読めるようになりました。

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この台地から下の海岸及びその廻りの遊歩道に続く道に降りられます。
(但し、危険なので一部通行止めとなっていました)

その降り口の所に「人間の歴史と地球の歴史」と書かれた石碑がおかれていました。

人間の歴史は犬吠埼の名前の謂れ(義経伝説:これは犬岩の所に書いた。こちら)です。
一方地球の歴史は白亜紀層の岩石がこの犬吠埼を形成しており、7000万年~1億年前の地層なのだそうです。

こうして比べたら人間の歴史など比べ物になりません。

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(クリックで拡大します)

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(クリックで拡大します)

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銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/09/26 20:08

芋銭歌碑(銚子)

 前に銚子の地球の丸く見える丘に作られた銚子にある歌碑のモニュメントで紹介しましたが、やはり歌碑はその歌が詠まれた場所に建てられているものがいいね。

特に小川芋銭(うせん)の歌碑は海岸の絶壁の自然石に彫られたものですごいです。

「大海を 飛びいつる如と 初日の出」

ここ犬吠埼は平野部では日本一早く初日の出がみられる場所です。

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海岸にそそり立つ自然石に歌が彫られています。

この辺りは白亜紀層が飛び出し、奇岩も多い場所です。

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この後ろの岩に彫られた歌碑。どうやって掘ったのでしょう。

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この岩の所から見る初日の出はどんなものでしょうか。
なんだか見たくなりますね。

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小川芋銭(うせん)はカッパの絵で有名で、牛久沼では記念館もあります。

前に書いたようにこの芋銭が銚子にやってきたのは(現石岡市)高浜の篠目八郎兵衛の別荘に来て気にいってしまったのです。(記事はこちら

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天皇陛下がお生まれになった時にその喜びを詠んだものだそうです。

この芋銭の碑の通りの反対側の山の方に少し入ったところに、尾崎咢堂(がくどう)の歌碑があります。

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咢堂は号で、本名は議会政治の父と言われた相模原出身の政治家「尾崎行雄」です。

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この碑の置かれた場所の先は現在三菱化学の犬吠寮となっていて、この奥には入れません。



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銚子 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/10/06 13:28

川口神社(1)(銚子)

 銚子の港に近い神社で前に「安倍晴明伝説」を紹介した事があります。(こちら

その時にこの川口神社の話が出て来たのですが湊沿いの道を車で走っていてこの神社を発見しました。

普段ですとまあ「こんなときにも神社があるな~」と思う程度なのですが、車を少し道路の空いた所に止めて覗いてみることにしました。その時はまだこの神社がその晴明伝説にまつわる神社であるとは気がつきませんでした。

986年(寛和2年)の創建といわれる。

安倍晴明の伝説は、晴明がお世話になった地元の長者の娘の顔にあざがあったが晴明に恋した。

晴明も結婚の約束をするがいやになり逃げ出す。

それを娘は追いかけたが、晴明は身を投げた工作をする。
それを見た娘は晴明が死んだと思い身を投げて死んでしまう。
そして、娘の歯と櫛が流れ着いたこの場所にその冥福を祈って神社を建てた。

神社の名前は「歯櫛明神(はくしみょうじん)」とよばれ、途中から「白紙明神」と書くようになり明示を迎えた。

明治に入り現在の川口神社(明治3年)と改められた。明治12年に村社となる。

速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)を祀る。速秋津姫命はイザナギ・イザナミの間に生まれた神で、男女一対の「水戸神(みなとのかみ)」であるが、ここは女性のみを祀っている。

川と海の接する河口部の神とされるので神社も「川口神社」となったものと思われる。

銚子の利根川の入口の河口に建てられた神社だ。

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ここにあるように銚子の大漁節にうたわれる神社です。

一つとせ 一番船に 積み込んで
川口押込む 大矢声 浜大漁だネ

・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・
九つとせ この浦守る川口の
明神 ご利益 あらわせり

この「川口の明神」がこの神社です。

江戸時代はここから利根川をさかのぼり江戸に魚を送っていた。

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港に近い2つの道が交わる交差点に一の鳥居がありました。

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鳥居から奥に広い参道が続いています。
左右は松並木です。

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しばらく平坦な道を進むと二の鳥居があります。昔はこの辺りから登り道が続いていたのでしょう。
今は広い階段です。

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鳥居の左右に阿吽の狛犬が置かれています。

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1歩では次の階段を登れませんので、結構歩きにくいんです。

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最初はちょこっとどんな所かを見て戻るつもりでしたが、なかなか古びた大きな風格のある神社なので驚きました。
正面に拝殿とその手前に狛犬か2対。

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手水舎も風格があります。

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境内社ですが、説明がないのでわかりません。

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拝殿。柱などの彫刻が目を引きます。

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写真が多くなってしまいましたので、明日に続きを書きます。



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銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/10/07 19:17

川口神社(2)(銚子)

 銚子の川口神社の続きです。

この川口神社は「白紙神社」と呼ばれ、その前は「白神明神」や「歯櫛明神」と呼ばれてきた。

安倍晴明伝説がどの程度の信憑性があるかはわからない。
この説によれば安倍晴明の生まれは筑波山の麓と言うことになり、筑西市(旧明野町)猫島の生まれとすることと繋がってくる。

石岡市の旧八郷地区の吉生でも晴明誕生説があるというが、こちらはあまりよく知らない。

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この川口神社の本殿はなかなか見ごたえのある造りであった。


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制作年代が書かれたものがないが、狛犬の刻印が文政三年(1820)とあり、それより前の文化年間(1804-1818年)と推測されるという。

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かなり凝った彫刻が全体に施されている。

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奥の本殿側から参道の方を見る。遠くに銚子の利根川入口が見える。
ここが川口神社ということが良くわかる。

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この神社の境内から銚子の漁港が良く見降ろせます。

海川吹く風を感じながら、広々した参道の上から海を見ると、とてもゆったりとした気分にさせてくれます。

大潮まつり(旧暦6月15日:現7月22日?)の時に朝早く神輿がこの階段を駆け降り、下の港の関係場所を練り歩き、夕方にまた駆け上るそうです。

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吉田松陰も21歳の時に水戸、鹿島神宮を巡りこの銚子に来てこの神社に立寄ったようです。
参道の階段横に石碑が置かれています。

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港の漁業関係者の信仰がとても厚い神社だと感じました。

灯籠には寄進した船の名前が・・・。

また女性のあざ除けに御利益があると言われ、訪れる女性も多いそうです。

これは、この晴明を慕って入水した長者の娘は顔にあざがあったと伝えられていることに由来したものと思われます。

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銚子 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/10/08 20:36

銚子のかんのん様

 先日銚子で食事(サバの漬け丼)を食べたすぐ近くに銚子で「かんのん様」と慕われる「飯沼観音」がありました。
正式な名前は「飯沼山円福寺」です。

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銚子電鉄の「観音駅」から銚子港の方に少し進んだあたりです。
立派な山門が目に飛び込んできました。

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説明看板に書かれていた内容をそのまま転記します。

「飯沼観音・圓福寺は、坂東三十三カ所観音霊場二十七番札所で、本尊は十一面観世音菩薩が奉安されています。銚子の繁華街や商店街は、飯沼観音を中心に形成され、門前町として繁栄してきました。平成21年には、新たに五重塔が建立されました。
また、飯沼観音境内には、明治5年にオランダ人技師リンドにより設置された「飯沼水準原標石」があり、これは日本における河川工事の水準基準面になるもので、日本最初の水準原標です。」

この水準原標は見落としてしまいました。今度行った時にでも確認してきます。

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この「かんのんさま」の看板はでかいですね。
有料トイレもあり、かなり大きなお寺です。

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平成18年9月18日着工、平成21年5月5日竣工の五重塔です。立派ですね。
総高33.5mで風圧に堪えるために心柱だけは鉄骨だそうです。

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本尊の十一面観音は漁夫が拾い上げたものという。その後、弘仁年間(810~824)に海上長者が財を投じて壮麗な伽藍を建立し、その後も海上氏一族の庇護を受けて発展したと伝えられる。

戦国時代の天正6年(1578)に観音堂がたてられ、江戸時代の安永2年(1773)に銅葺に改築され、仁王門、鐘楼、多宝塔、太子堂などのさまざまな建物が建てられたが、先の戦争ですべてを焼失したという。

さて、ここまでは検索して知った内容を記載したのだが、この坂東三十三カ所札所の二十七番目というが、このひとつ前の二十六番札所は土浦の小町の里近くにある「清滝寺」だ。(前に書いた記事:こちら

あの土浦の北側にある寺からここまで歩いたり、舟に乗ったりしてやってくるとするとどれくらいかかるのだろうか?

この観音様の巡礼は土浦からくると100km近くあるのでこの門前町で泊まることになったそうだ。

この門前町も昔は栄えていたのだろう。魚はここから利根川を上って江戸まで運ばれたのであり(前の記事参照:こちら)、そんな事を考えて街を見ているとこの風景などもどこか懐かしい気がする。



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銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/01/28 20:31

銚港神社

 昨日紹介した飯沼観音「圓福寺」は古くから信仰されてきた寺であるが、それに隣接してこの「銚港(ちょうこう)神社」がある。

この神社は元は「龍蔵神社(龍蔵権現)」と呼ばれ、奈良時代初期の720年頃の創建ともいわれているそうですが、圓福寺と神仏混合として信仰されてきたという。

それが明治初期の神仏分離で圓福寺とわかれ、銚港神社と名前も変わったのだという。

神仏分離は各地で見て来たが、多くは神社の方が大きくなり、寺は壊されたり復興しても小さなものとなっていたのだが・・・。ここは神社が小さくて、寺の方が大きい。

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こちらが神社の入口で、その左側が圓福寺(飯沼観音)だ。

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祭神は、闇淤加美神(くらおかみのかみ)・志那都比(級津彦)古神(しなつひこのかみ)・志那都比売(級津姫)神(しなつひめのかみ)・阿遇突智神(かぐづちのかみ)などを祀る。
地元では「産土(うぶすな)さま」と呼ばれる神社だ。

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圓福寺とともに太平洋戦争で消滅したが、その後の昭和33年に復興した。
社殿正面の銚港神社の署は吉田茂が総理大臣であった時に書いた揮毫だという。

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 銚子式年神幸祭ではこの神社の前でも神輿の競演が行われると言う。

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古い柱の一部?が残されており、真ん中の柱には「龍蔵権・・」の文字が読めます。

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境内にある金毘羅神社です。海運の守り神ですね。

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銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/01/29 19:34
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