ふるさと風の会展

 本日から3日間 ふるさと風の会の展示会を石岡「まちかど情報センター」で開催しています。

本日は10時に本や過去の会報などを持ち込み飾りました。

会員の兼平ちえこさんの常世の五百面相の絵を壁一面飾り、入り口部分に円柱にアレンジした葭簀の壁面にも飾っています。

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風邪が入ってくると顔がゆらゆら揺れます。

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部屋の中央に本日一日中いたのですが、たくさんお観客に囲まれているようでにぎやかな感じでいい気分でした。

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私の本も展示させていただきました。
興味をもってお話させていただいた方や、FBのお仲間も来てくれました。
ありがとうございました。
明日、明後日(土日)もやっていますのでお近くに来れれましたらお立ち寄りください。

ことば座・風の会 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/06/01 20:07

新旧のはざまで・・・

 霞ケ浦北岸の国道355線で小美玉市から行方市に入ってすぐのところに三昧塚古墳があります。

横の国道を通りながら黄色の花と白い綿毛の穂が一面に揺れていたので写真に収めてきました。

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タンポポのような黄色の花は、前に記事にしたときに教えていただいた「ブタナ」でしょう。
ブタなどと言わずにきれいだと愛でてあげたいです。

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奥に揺れる白い穂は「チガヤ」でしょう。
今の時期にしかこのコラボレーションはみられません。

植えたわけでは無いでしょうが、草刈りもこの周りはしているのですが、古墳のまわりは残されています。

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三昧塚古墳は湖岸の工事で一時消滅の危機にありました。
たまたま通りかかった県の職員の発見により貴重な古墳であることが判明し、復元されました。

しかし、形はいかにも現代風な角ばった形をしています。
この少し人工的な姿のためか、意外にこの古墳が重要な古墳だということに気が付きにくくなっているのかもしれません。

金の王冠に周りに馬の飾りが動くたびに揺れる「金銅製馬形飾付冠」が見つかったのです。
いまは茨城県歴史博物館(水戸)にて保存され、複製されたものが歴史館で展示されています。

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(金銅製馬形飾付冠:茨城県歴史館所蔵)

王冠
(茨城県立歴史館の再製レプリカ(復元品))

ここは、古の風を感じながら、少し公園風にアレンジされた古墳の上に立って、この外来種などの花が揺れるその先に霞ケ浦と筑波山が見渡せるのです。

新旧の風が交差しているのを感じることのできる場所です。

近況 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/06/01 09:39

風の会文庫展(6/1~6/3)

 ふるさと風の会も結成12周年を迎え、毎月発行の機関誌と会員の作成した文庫などを展示します。
場所は石岡市の「まちかど情報センター」さんです。

朝10時~5時頃まで(それ以降は無人の展示のみ)

まあ特別な行事もあまり計画していませんが、日頃よりもしこの会に興味がございましたらお気楽にお越しください。

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私も足りなくなっていた本を多少増刷しました。


ことば座・風の会 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/05/31 16:19

一寸法師

 さて、神話がらみで「少彦名」(スクナヒコナ)とコロボックルの話が結びつかないかを考えていた。

でも小人といえば「一寸法師」がいると・・・・

スクナヒコナは大地の神「大国主」が大男のイメージなのに対し、スク(少)=小さい ヒコ(彦)=男をそのまま名前ににしたものだが、穀物の神(五穀豊穣)などとも言われます。

スクナヒコナのイメージが室町時代頃になって、一寸法師の話に生まれて変わったということも考えられるので、この一寸法師についても少しだけ調べてみました。

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昔子供に読んであげた童話の一寸法師の話は、

「私は、都にいって、立派な人になりたいと思います。・・・・・・・・・・・・」

とおばあさんに言って、針をもらい、それを身に着けて刀にし、お椀の舟に乗って、箸を櫂(かいにして漕ぎながら川を下って都に行きますね。

この「都にいって、立派な人になりたいと思います。」のセリフは、当時幼かった私の娘が絵本を読んで、よく口にしていました。
(まあこの娘も 今では立派な2児の母親です)

さて、この一寸法師の話は「御伽草子(おとぎぞうし)」に出てくる話で、昔からあまり変わっていないのかと思っていいました。
しかし、御伽草子の原文を調べてみると、結構違いがあります。

原文は下の方にのせておきますが、大きな違いは

おじいさんおばあさんに子供がいないため、住吉神社にお参りして子供を授かるところまでは同じですが、

いつまでも大きくならない一寸法師におじいさん・おばあさんは

「これは化け物だ。なんでこんな化け物を住吉さんからたまわってしまったのだろうか?
ああ、不憫で情けない。いっそこの子をどこぞにやってしまおうか?」

などと考えているのです。

そしてそれを察した一寸法師は、家にいることができず、自ら都に行くことをおばあさんに告げて、針、お椀・お箸 をもらって、住み慣れた難波(住吉の港)から京へ舟でいくのです。

さてさて、最も大きな違いがあるのが、京に上った一寸法師が、三条の宰相殿のところでお世話になっているときに、この家の十三になる娘に恋をしてしまいます。
そこで、悪巧みともいえる一計を案じるのです。

眠っている姫の口元に、自分が大事にしているお米(神様に供える)の数つぶをそっと塗っておきました。
そして、私の大事なお米を姫が食べたと宰相に訴え出るのです。  ⇒ 「 一寸法師って結構ずるがしこいですよね! 」

これで家を追い出されることになった姫に一寸法師はついて二人旅が始まります。

舟に乗ってやってきたのが見知らぬ島。ここで鬼が出てきて一寸法師を口に入れると、目から出てくるのです。
今読まれている話では、おなかの中を針でつつくのですが、こちらは口から入ると目から出てくるのを繰り返します。

そしてこれにまいった鬼が打ち出の小づちを置いて逃げます。

一寸法師はこの打ち出の小づちに3つのお願いをします。

1) 大きくな~れ。・・・一寸法師は立派な若者になります。

2) (おなかがすいていたので)飯よ出でよ。・・・ 美味しそうな料理がでてきます。

3) 黄金・銀 をたくさん出します。 ・・・金持ちになります。

  ⇒ ちょっと欲が深そうにも思いますね。 
花咲爺さんや、こぶとり爺さん、また舌切り雀などはみな正直者で欲がない爺さんばあさんが主人公ですね。

時代で結構話は変わりそうですね。

室町時代頃には、正義や、親孝行、親への道徳心などはあまりなかったのでしょうか?

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神話 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/05/29 07:53

気吹戸主

 「気吹戸主(いぶきとぬし)」という神様を御存知ですか?

私は、東国三社の一つと言われている茨城県神栖市にある「息栖(いきす)神社」で、松尾芭蕉が詠んだ句で知りました。
あまり祀られている神社は少ないようです。

   この里は 気吹戸主(いぶきとぬし)の 風寒し  (芭蕉 : 鹿島紀行)

実は3日ほど前に「トイレの神様」である「烏枢沙摩(うすさま)明王」の紹介をしました。
そこでこの神様を思い出したのです。
少し考えたことでも残しておきたいと思います。

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(日本三霊水「忍潮井」)

「気吹戸主」というのは、この気吹=いぶき という言葉からも大体想像がつきますが、穢い(きたない)ものに息を吹きかけてきれいにしてしまうような力があるのだそうです。

神話の話では、イザナギの尊(伊邪那岐命、伊弉諾神)の尊が、黄泉の国(よみのくに)(死の国)から逃げ帰ってきたときに、筑紫日向の橋の小門(おど)で、身体を洗い、穢れ(よごれ)を洗い流しますが、この流れの中から生まれたのがこの神様だといいます。

そして住んでいるのは「根の国・底の国」です。
この国がどこにあるのかいろいろな説がありますが、私は海底にあるような気がします。

何故なら、大昔、汚いものを川に流して清めていたようです。
今、神社でのお浄めと言ってお祓いをしてもらうことがありますが、このお祓い「祓え給い、清め給え」の神様は全部で4柱あって、この「気吹戸主」もその中の1柱です。

このお浄めの行事が祭などの神事で、神輿を川や海に入って清めるなどという行事につながっています。

まあ、川に流せば海に流れていきますね。
そして何事もなかったようにきれいになる???

原発の汚染水だって、大昔の考えならとっくに海に流していそうなものです。
でもこんなことは許されませんね。

気吹戸主がいくらきれいにしようと息を吹きかけても、こんなに汚染してしまってはどうしようもないでしょう。
原発事故はこの神様をも超えてしまっていると思うと、確かに恐ろしいですね。

さて、息栖神社の祭神はこの気吹戸主ではなく、現在「岐神(くなどのかみ)」(久那戸神ともかく)を祀っています。

「岐(くなど)」というのは道案内の猿田彦などと同じような神様です。
道の分かれ道に立つ道祖神でもあります。

大和朝廷が東国に進出してきたときに、鹿島の大神(鹿島神宮)と舵を取るとされる「香取神宮」との間をさらに進むために、中間の中州の中にこの息栖神社を置いたものと理解していますが、『日本三代実録』(平安時代に書かれた歴史書)では「於岐都説神」と書かれていて、「於岐都説=おきす(せ)=沖洲」がその語源だといわれます。

でも私がこの息栖神社の元宮である「蚕霊神社」を訪れて分かったことは、この元宮が常陸国の三大養蚕神社とも言われることです。
江戸時代の滝沢馬琴もいろいろ調べていたようですが、わからなかったのかもしれません。

この三社の残りは筑波にある「蚕影神社」と日立市にある「蚕養神社」ですが、この常陸の神社は息栖神社「於岐都説」から分霊されたものだといわれています。

何故この神社が蚕の神社になっていったのかはよくわかりません。
でも面白そうですよね。
金色姫伝説などともどこで結びつくのでしょうか?

兵庫県養父郡の上垣守国(うえがきもりくに)が享和2年(1802)に著した養蚕全般に亘る教書である「養蚕秘録3巻」をあらわしています。 これがヨーロッパなどでも翻訳されて絹の製法が世界に広まったようです。

この金色姫伝説はこちらの書物にも出てくるようですが、これは福島県なのか?茨城県なのか?・・・・


神話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/05/27 15:36
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