小町の里

 土曜日は月1回の「ふるさと風」会報の印刷日

この会も11年続いてきて、わずかな人数でもしっかり言いたいことは言って(書いて)、ふるさとに文化の風が吹いていることをしっかりと伝える役目を担っている。

損得勘定ばかりが気になる人々の多い世の中で、自らの会費で毎月A3裏表5~6枚(A4de20~24頁)を自分たちの手で500部ほどつくって無料で配布している。

これも会員は毎月記事を書き続け、誰一人休まない。

良く続いてきたなと思う。

今まで書き続けてきた会報をCD化しようとも考えた。
資金は?
どこかで少し助成金は?

県の助成金10万円を申し込むも落選。

さてでは次なる手は?
また自腹でやるか。
応援してくださる方は時々いるし、毎回楽しみに読んでいただいている人も結構いる。

12年という区切りに今までのものをまとめておきたい。

1)すべてをPDFでまとめる
2)作者別にもまとめる
3)記事内容を索引でしらべられるようにする。
 そしてクリックでそのファイルページに飛ぶ

こんなことをコツコツ少しづつやっていこう。
これはいつまで経っても貧乏ヒマなしだな・・・・・・・

それにしてももう完全に秋の気配だ!


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土浦市(旧新治村)小町の里へ
小町の館は秋色でした。

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萩の花も咲き乱れ、


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道路沿いにはコスモスも揺れていました。


筑波・土浦・牛久地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/10 06:31

宵待草のやるせなさ

  銚子市海鹿島に竹久夢二の歌碑がある。

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この海鹿島(あしかじま)は島ではなく、明治頃までアシカもいたらしいが、今はいない。

しかし日本の東端のとっまずれにあって、風光明美な場所として別荘や旅館などもあり多くの文学者たちが訪れた。
そのため、銚子の文学碑めぐりの中心でもある。

海岸沿いに「小川芋銭」の大きな碑が、海岸に突き出した大きな岩に直接刻まれて置かれている。
またその反対側の丘の台地には国木田独歩のこれまた大きな岩に刻まれた碑がある。

また尾崎咢堂(尾崎行雄)の碑も芋銭の碑のところから山側に少し上ったところにある。

さてもう一つ忘れてはならない碑が「竹久夢二の歌碑」である。

海岸沿いの通りから「石井ひもの店」さんの前を上がった通り沿いに草に覆われたようにある。

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  まてど暮らせど来ぬ人を

    宵待ち草のやるせなさ

      今宵は月も出ぬさうな

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竹久夢二が最初に結婚した女性「岸たまき」と結婚したのは夢二が23才の時
翌年男の子を設けるが、親の反対もあり25歳の時に協議離婚した。

しかし、翌年再びたまきと同棲し、大逆事件で幸徳秋水らが逮捕され、夢二も逮捕されてしまう。
2日で釈放されるが、監視されているのを嫌って、たまき、長男を連れて銚子の海鹿島に避暑旅行に出かけた。

この時宿としたのが海鹿島の宮下旅館(民宿)ですが、この宿の隣に成田から来ていた長谷川賢(カタ)が来ていて二人は意気投合して、絵のモデルになってもらったり、この近くの海岸などを一緒に散歩したりしたといいます。

夢二はたまきという女性がいて赤ん坊もつれて来ていたのに別な女性に恋をしてしまったのですね。

一夏の恋はそれで終わり、夢二は東京に、カタは成田に帰ります。

年末には成田で再開したようですが、海鹿島で翌夏に会えると期待していた夢二に聞こえてきたのはカタが別な男性と結婚した便りでした。
カタの父親が心配して結婚を急がせたためだといいます。

そしてこの宵待草の歌のイメージがわいたのです。

最初に書いた原詩は

「遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る

待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心もとなき

想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな」


です。

かなり違いますね。

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歌碑のある通りは坂道で道幅も狭いです。

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海鹿島の海岸は昔から風光明媚だったのですね。


銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/05 12:43

今年は夏も終わりですね。

 ことしの夏は7月が暑かったが、8月は1か月間気温はあまり高くなかったが、ほぼジメジメしているだけで不快な日が多かった。

そして太平洋側を北上している台風の影響で北から冷たい風が吹いてきて、夏の虫が楽しまないうちに秋の虫に入れ替わってしまった。

まったくよくわからない陽気だ。

夏も銚子にはまた数回出かけた。

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茨城県側から銚子大橋で銚子に入る。
向こうの台地の上には風車がたくさん廻っている。
その風車の麓には銚子特産のキャベツや大根の畑が広がっている。
銚子は海の産物ばかりではなく、気温が穏やかなのでこの野菜の栽培も盛んだ。

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海岸沿いを犬吠埼の方に行ってみた。
ここは「一山いけす」という有名な料理屋さんの入口。
店内に大きないけす(生け簀)がある。
まあ普段のランチなどでは私は一人で訪れることはまずない。

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その先、海鹿島(あしかじま)などを通って君ヶ浜の海岸へ。
犬吠埼灯台が直ぐ先に見える場所だ。

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浜には海水浴客などもいるのかと思いきや、小さな子供だけがわずかにゆく夏を惜しんでいるようだった。
もう10日ほど前で、結構気温も高かったのだが、海は海藻がたくさん打ち寄せていて、海藻採りの人が目立つくらいで・・・。
磯遊びも子供にとっては楽しいものだ。

私が子供のころ育った横浜本牧の海岸は今は全く面影が無くなってしまった。
埋め立てられて工場や石油タンクがそびえ、海岸は数キロ先に岸壁があるだけとなった。
そして昔海岸線だったあたりには高架の高速道路が走っている。

文明は便利になっても自然が無くなればもう昔には戻れない。
まだこのように海辺が残っているのは良いものだ。


銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/02 21:44

アサザがもう咲いていました。

 霞ケ浦のアサザは毎年9月になってから咲きだすと思っていた。
今日、また銚子に出かけたのだがすでに稲刈りが済んでいたり、稲刈り中の田を頻繁に見かけた。

これならもしかしたらアサザも咲いているかもしれないと麻生港に立ち寄った。

そしてアサザを保護している港の東側にいくと、すでにたくさんの花が咲いていた。

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群生して咲き乱れる可憐なアサザは美しい。

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是非こんな花があちこちで見られるようになるといいものだ。

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霞ケ浦の自然 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/28 23:38

こんな記念切符手に入れたけれど・・・。

 鹿島鉄道が廃線(2007年4月1日)になって早や10年が過ぎた。
私が切り絵作家「滝平二郎」さんの本や切り絵集を集めていることを知って、知り合いが面白いものをもって来てくれた。

今から25年前の平成2年に発売された鹿島鉄道の記念乗車券である。

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「滝平二郎切絵と鹿島参宮鉄道唱歌」と書かれている記念乗車券である。
見開きA4版を二つ折りにしたA5版くらいの厚紙でできている。

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見開きを開くと左右に2枚の滝平二郎さんの切り絵がデザインされていて、その下に「鹿島参宮鉄道唱歌の7番8番の歌詞と左側には切符が2枚ついている。
また見開きを開いた時にいわゆる「鉄道唱歌」のメロディオルゴールが流れる仕掛けになっている。

表紙もシリーズⅣとなっているので石岡から始まってⅠ~Ⅲまでは別にありそうだ。
鹿島参宮鉄道の歌詞も1から6までが別にあるのだろう。

この鹿島参宮鉄道の唱歌はよく知られた「汽笛一声(いっせい)新橋を はや我(わが)汽車は離れたり・・・・・・・」の鉄道唱歌のメロディに地元の風景などを織り込んだ歌詞に変えたもののようだ。

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鹿島鉄道は建設当初は鹿島神宮を目指して高浜から建設され、名前も初期は鹿島参宮鉄道とされていた。
それが途中まで開設された後に玉造から鉾田に方向を変えた。

いろいろ理由はあろうが、鉄道が廃止されバス路線だけとなるとどうも文化的なつながりが途切れてしまう様に思う。
滝平二郎さんは石岡の隣の玉里村(現小美玉市)の生まれで、高校は石岡一高の前身の農学校の出身である。

こうして地元の懐かしい風景などを切り絵に残しているので地元でも大切にしたい一人である。

新しい石岡駅には大きなステンドグラスの絵が飾られ、石岡一高創立110年にちなんで、滝平二郎さんの記念館設立の動きもあるようだが具体化するには市民の絶大なバックアップが必要に思う。

旧鹿島鉄道沿線 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/27 12:26
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