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千葉の難読地名(39) 先崎

≪先崎  まっさき≫ 佐倉市

千葉難読地名39


印旛沼西端の丘陵地上に位置する。台地南の崖線に先崎城跡がある。(角川 日本地名大辞典)
元禄13年(1700)頃の帳に印旛郡として村名が見える。(平凡社 千葉県の地名)


そういえば茨城県小美玉市に「先後」で「まつのち」または地元では「まずのち」という地名があった。
「先」を「まず」と読むのはある程度自然の流れであり、これが

  【先=まず】 ⇒ 【まつ】

に変っていくのであれば、

  【先崎 まずさき】 ⇒ 【まつさき】 ⇒ 【まっさき】

となってもおかしくはない。

岩手県大船渡市末崎町 まっさきちょう

ここは、島の6キロの海岸線を『碁石海岸』と呼ぶ。雄大な海蝕地形で知られるリ アス式海岸である。
断崖、洞門、洞窟、洞穴などの変化に富んだ景観として知られているが、ここは大きく海に飛び出した岬(半島)のような場所である。

一方こちらの佐倉市先崎(まっさき)は印旛沼の南側で特に岬のように飛び出したところには見えない。
ただ、昔の印旛沼はもっと大きな内海とつながっており、どのような形状をしていたのかはよく分らない。
地名由来としては
1) 突き出した岬のような場所
2) 曲がった湾、川などに突き出た場所
というような意味合いがあるのではないかと思う。


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千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/07/02 06:12

千葉の難読地名(38) 北方町

≪北方町  ぼっけまち≫ 市川市 

千葉難読地名38


<北方町  ぼっけまち≫ 市川市

大柏川中流左岸に位置する。
地名は古く、室町期に「北方村」とある。応永年間(1394~1428)の帳に「北方 ボツケ」と見える。
北方町の南側に「北方(きたかた)」という地名があるが、こちらは後から「北方町(ボッケマチ)」より分離したときに、地名の読み方を変えたもの。



 さて、「ボッケ」というとあちこちでこの地名の由来はとり上げられているが、アイヌ語説が一番多いように思う。
しかし、どうもスッキリしない。

柳田國男の「地名の研究」には、ハケ、ハッケ、バッケ、ボケ などについては、
 「谷川の両岸の山の狭まっている所をホキ・ホケ・ハケという。これは今中国四国などに残っているが大分広い区域にわたっている。吉野川の大ボケ小ボケなどはその一例である」と書かれている。
・・・・・・・・
能登と越中の境などはクエ、崩れることをクエルといったのである。関東・東北はガケ・ガンケが多く、ハケというのもその系統に属するのかも知れぬ。九州から四国ことに土佐にかけては、ツエというのが一般のようになっている。
・・・・・・・・
たとえば崖の上面を何ハケといい、側面を何ハバといい、急傾斜を何ママというものが、国を連ねても十も十五も発見せられるなら、そのハケ・ハバまたはママは、こういう場所を意味した普通名詞なることが知れるのである
・・・・・・・
ハッケまたはハケは東国一般に岡の端の部分を表示する普通名詞である。武蔵には特にこれから出た地名が多い。甲武線の附近ではたとえば小金井の字峡田(はけた)、調布町小島分の字峡(はけ)上、谷保の字岨下。北郊にあっては田端の字峡附(はけつき)、岩淵町大字袋字峡通りの類、多くは古くから峡の字が用いてある。『武蔵演路』巻二、豊島郡峡田領の条に、当国の方言に山の岸または丘陵の片なだれの処へ作りかけたる田を、ハケ田というとある。また『新篇風土記稿』の入間(いるま)郡下安松(今の松井村大字)の条には、多摩郡山口村の辺より新座(にいくら)郡引又町(今の北足立郡志木町)の辺まで、すべて峡つづきゆえに高くして南の方は柳瀬(やなせ)川のへりに傍(そ)いたれば低しとある。「峡つづき」の台地の外縁であることは往ってみればすぐ判る。峡の代りに岨もしくは※[#「山+圭」、252-5]の字も用い、西多摩郡平井村の字では欠の字をもってハケに当てている。相模の原野地方にも武蔵野に似た地形があるが、ハケまたは※[#「山+圭」、252-7]の字を当てた例が多い。これらの漢字はさまで研究した用法でもあるまいから、いちいち『竜龕手鑑りゅうがんしゅかん』などを検してみるだけの必要もなかろうが、とにかく文字の方からもある状態を現わそうとした努力だけは見える。しかし他の地方においては多くは羽毛(はけ)・端気(はけ)などと音を画くのをもっぱらとしている。ただ一つ利根川の上流に(上野利根郡)久呂保(くろほ)村大字川額(かわはけ)と、額の字をもって川の高岸を表わしたのは例外で、思川の川筋には(下野上都賀郡)板荷(いたが)村字川化(かわばけま)たは大川化などと化けるという字が当ててある。東北においてはハケよりもハッケの方が多かったと見えて、八慶または何八卦などという地名が少なくない。八景とあるのもいくらも見かける。ハケとハッケと別物でないことは、『茨城県方言集覧』に、

バッケ   多賀地方にて崖のこと また他の地方にて山岡などの直立せる崖
イワハケ  岩の傾きたる岨(そわ)

とある。岨という標準語は普通水流に臨んだ高岸にのみ用いられるが、もし下が湿地平田等何であっても構わぬとすれば、ハケはまことにこれに相当している。」

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などと多くを割いて書いている。

しかし、これが「アイヌ語(縄文語)」かというと、私にはよくわからない。
茨城県も水戸の「木葉下(アボッケ)」、守谷市と筑西市、五霞町の3箇所に「赤法花(アカボッケ)」などがあるが、その他に
・福島県桧枝岐村に「赤法華(アカボッケ)」「赤法華沢(アカボッケザワ)
・栃木県壬生町に「赤仏(アカボッケ)」
・宮城県栗原市に「石法花(イシボッケ)」
・栃木県岩舟町に「法花(ホッケ)」
・愛知県岡崎市に「法花(ホッケ)」

(その他「ホッケ」地名)
新潟県燕市吉田法花堂
新潟県上越市三和区法花寺
富山県滑川市法花寺
石川県加賀市大聖寺法華坊町
愛知県名古屋市中川区法華
愛知県名古屋市中川区法華西町
愛知県稲沢市法花寺町
三重県伊賀市法花
京都府木津川市加茂町法花寺野
兵庫県豊岡市法花寺
奈良県奈良市法華寺町
奈良県橿原市法花寺町
鳥取県鳥取市国府町法花寺
徳島県徳島市八万町(法花)
徳島県徳島市八万町(法花谷)

など「ホッケ」「ボッケ」という地名はたくさんある。
そのほとんどが「崖」とか「崩れ地」に関係が有りそうである。

ただ、アイヌ語にその語源を求めるのは、あまりスッキリした解が見つからないのだ。

アイヌ語で探すと
【pok】 ~の下
【pa-ke】 出崎の突端の崖
位しか見当たらない。

これからなら、東京の国分寺崖線沿いに続く「ハケの道」の「ハケ」は、「水はけ」などと使う「ハケ」と同義であろうと思う。
しかし、「ハケ」「パケ」などと同義で「ホッケ」「ボッケ」などを同じように見ていこうとすると少し無理がある。

また、良くわからないので、地方の方言などとも書かれたり、「カケ=欠け」から来た言葉ではないかなどとも言われているのだろう。
もう少し各地を見ていけばスッキリした由来がわかるのかもしれないが、私の手には余るので、とりあえずここまでとしよう。


千葉県には「法花(ほうげ)」(勝浦市)があるが、こちらはNo9の方に書いた。
 古くは「法華」と書き、地名は「生(は)う華」または雑草蔓延の意の「生うけ」に由来すると伝える。(角川 日本地名大辞典)
とある。読み方が異なると解釈もニュアンスが異なってくる。


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千葉の難読地名 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2020/07/01 09:20

千葉の難読地名(37) 杢師

≪杢師  もくし≫ 茂原市

千葉難読地名37

≪杢師  もくし≫ 茂原市

 文禄3年(1594)の村高帳に「木師村」と見え、また、木工師とも書いたという。

「杢」(もく)は木工を合成した和製漢字で、「杢目(もくめ)」などとして使う場合も多い。
この場合、普通の木目とは異なり、特殊な模様が現れた時の木目模様の意味として使われているようだ。
また、訓読みとして「むく」という読みもある。

さらに、大工・木造の家などの建築や修理をする職人を言うともあり、地名の「杢」の字は、木工職人の住む地域を指す言葉だったと思われる。

(全国の「杢」の付く地名)
宮城県登米市豊里町杢沢 もくさわ
山口県下関市豊田町杢路子 むくろうじ
愛媛県西予市宇和町杢所 もくしょ

他の千葉県で使われている「師」の付く地名を探すと

千葉県茂原市高師  たかし
千葉県茂原市高師台 たかしだい
千葉県茂原市高師町 たかしちょう
 ・・・高市皇子の耕地であった地で、僧安然の誕生の地なので「高師」の名が生まれたともいう。(上総国誌)
千葉県印西市師戸  もろと
 ・・・昔は諸戸とも書いた。印旛沼に南面する台地上に位置する。
千葉県南房総市珠師ケ谷 しゅしがやつ
 ・・・延喜式に鈖師(おのし)牧とあり、この「珠師ケ谷」の地と考えられるという。
   地名は「しし(水気の多い土地)・が(接続詞)・やつ(谷津)」の地形語ではないかという。
がありますが、あまり職業関連の人々が住むという意味のところはなさそうでした。




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千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/06/30 19:44

千葉の難読地名(36) 犢橋

≪犢橋  こてはし≫ 千葉市花見川区

パソコンで「こてはし」と入力しても、すぐに「犢橋」と変換されるほどある程度一般に知られた地名だ。

千葉難読地名36


角川の辞書には 「地名の由来は不明。「犢 こてい」は牡牛の古語「ことひ」の転という。」とある。
室町時代の寺の過去帳に「コテハシ」と記載がある。
慶長19年(1614)に犢橋村が確認されている。しかし元禄郷帳には「コディバシ」と訓がつけられている。

縄文時代晩期の「犢橋貝塚」は貝塚の形が馬蹄の形をしており、注目されており、国の指定史跡だ。
現在はさつきが丘団地の地域内に緑地として保存されている。

「犢」を辞書で引くと、牛の子【子牛 こうし】のことで、古くは「こうじ」と言ったとある。また「トク」とも読むという。

地名由来としては、
 ・ 「こ(接頭語)・うし(憂し)・はし(端)」で台地端部の洪水氾濫地または地辷り崩壊地を指したもの。
 ・ 「こじ(抉じ)・はし(端)」で浸食地という意味
 ・ 「特牛(コトイ)階(ハシ)」が「犢橋(こてはし)」に転訛
 ( 牡牛を運搬するために低湿地帯から、台地面に引き上げた場所をさすと言われている。
   「階」(はし)は上に持ち上げる階段などの意。)
がある。

昔は馬ではなく、牛車で人も移動した。 その船着き場のような低地が湿地帯で、そこから上の台地に牛を引き上げた場所という意味と考えても良いのではないか。


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千葉の難読地名 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2020/06/30 04:51

千葉の難読地名(35) 百鉾

≪百鉾 もふく≫ 夷隅郡大多喜町

千葉難読地名35


≪百鉾 もふく≫ 夷隅郡大多喜町

西畑川と平沢川の合流点付近に位置する。木更津への道が通る。笛倉村の枝郷。

文禄3年(1594)の帳に「むほく村」と見える。また寛永10年(1633)には「六鉾村」とある。(平凡社 千葉県の地名)

このように少し村名は変遷があるようで、現在も近くを通るいすみ鉄道の「百鉾踏切」には「もほこ踏切」となっています。

地名の由来などを調べるために、同じ鉾が付く茨城県の「鉾田(ほこた)」を調べてみましょう。

1) 自然堤防上の耕地という意 (茨城地名のはなし(江原忠昭著))
2) 「南北朝期から見える地名」で慶長年間には鉾多とも書き3つの鈴を祀る意味があった。(角川 日本地名大辞典)
3) 慶長年間に鉾多と書かれたことから、古代の武器・用器が多く掘り出された土地を意味する(日本地名ルーツ辞典)

などとあります。

さて、千葉県の百鉾(もふく)は江戸時代は「六鉾」と書いていたようなので、この「六つの鉾」にどのような謂れが隠されているのでしょうか?

京都の祇園祭の起源は、神仏習合時代に疫病が流行った時(863年)に、この「祇園社」で疫病を鎮め、死者の怨霊も鎮めるために、その当時の国の数66と同じ数の鉾(ほこ)を立てて行われた「御霊会」が始まりだといわれています。
66本の鉾・・・・・ 
今も山鉾(剣鋒)巡行が行われていますが、室町時代になり、それぞれの町が工夫した山鉾をつくり、また鉾と屋台の車が一体になったものが出て来るようになったようです。

数値の「六」には、いろいろな意味が考えられます。
<たくさんの鉾、武器・・・>
<六はまとまりが良く、縁起も良いとする数> 上の祇園祭でも男神輿は六基でる。
<村の数が六で、祭りなどで6ケ村で鉾を立てる御霊祭などがあったか>

その他、地形的な「崩れ地」などの意味合いもあるのか?
など

六鉾(むほこ) ⇒ 百鉾(もほこ・ももほこ) ⇒ 百鉾(もふく) ?


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千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/06/29 05:50
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