新春落語会

 1年半前の7月に北海道から沖縄までの日本縦断落語行脚の途中に石岡に来ていただいたのが縁で、また林家とんでん平師匠に来ていただき寄席を開催させていただきました。

前回はオープン間もない農産物直売所「石岡そだち」でスイカなどが立ち並ぶ野菜棚の中に席を設けさせていただき、失礼とは思いましたが、「面白い!」ということでご了解していただきました。

今回も高騰している野菜に笑いを吹き込んでいただきました。

P1130011s.jpg

大根、ちぢみほうれん草、白菜などを脇に置かせていただきました。
目の前も野菜が並び、観客も野菜と一緒です。

P1130018s.jpg

いつもの三平師匠の物まねからスタートです。
そして東京の林家三平一門の新年会の話から・・・・

話術巧みで話に引き込まれていきます。

P1130025s.jpg

おおいに笑わせていただきました。

P1130027s.jpg

野菜は笑いを含んで甘く美味しくなったと思います。
価格もスーパーなどよりかなりお安くなっていますよ。
またこの日は特別サービス価格でも・・・・

P1130035s_20180114061635993.jpg

P1130013s.jpg

とんでん平師匠は手話落語の第一人者ということで、聾唖の方達にも声をかけていましたが、新年会と重なりあまり来られませんでした。(前回は20人近く来られていました)
耳の聞こえない人にも落語を楽しんでもらえるという「手話落語」も今回の演目に入れていただき、たくさんお笑いをくれました。
感謝です。

P1130047s.jpg

午後からは石岡駅前通りの「まちかど情報センター」さんでの寄席が行われました。

「どうもすいません! ♪よしこ~さん。 ♪ こっち向いて~・・・」

初代林家三平師匠が亡くなりもう37年以上たつそうです。
でも、あの強烈なキャラクターはいつまでも忘れられないですね。

北海道小樽からリヤカーを引いて徒歩で東京までいき、三平師匠に弟子入り。
名前も北海道だからということで「屯田兵」から「とんでん平」に。

P1130051s.jpg

1996年に真打昇進。
いまでも三平一門は結束力が強いので有名なようです。
新年会に皆が女将さん(海老名 香葉子さん)の下に正月集まるそうです。

とんでん平師匠は、今回は暮れに札幌で転倒して腰を骨折してまだ治りきっていない中長い時間ありがとうございました。

P1130057s.jpg

最後にサインをいただきました。

P1130055s.jpg

「笑って深まれ 心の和」  優しく、とてもいいですね。

近況 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/01/14 07:17

夜の茨城空港

 正月休みの終わり頃やってきた娘と孫君は5日夜に茨城空港から神戸に帰っていきました。
神戸への便は夜の7時45分発です。

孫も大きなイチゴ(ヤヨイヒメ)を抱えてうれしそうに飛行機へ。

またしばらく会えませんが元気にやってくれたらいいという思いです。

こちらは老夫婦で毎日なんだかんだで、いそがしく頑張っています。
まあ空回りですが・・・・

今週土曜日は石岡そだちのお店で落語会です。

P1050015s_20180110222422de4.jpg

P1050019s_2018011022242443f.jpg

P1050016s.jpg

P1050024s.jpg

茨城空港 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/01/10 22:26

年末の蓮田

 霞ケ浦周辺はハスの一大生産地です。
ここかすみがうら北側の玉里地区(小美玉市)も霞ケ浦沿いに蓮田が広がります。

正月料理に多く使われるレンコンはこの寒い中、水の中で泥まみれになり収穫されたものです。
もう正月用の出荷はすっかり終わって、年末に近づいた田んぼも水流ポンプの音も、蓮田に飛び散る水音もしません。

もうお正月もモードになっているのでしょうか。

PC250003s.jpg

PC250004s.jpg

霞ケ浦の沿岸に出てみました。
雨が上がった日がさし始めた湖面はキラキラ輝いています。

PC250006s.jpg
(下玉里の大井戸公園脇にて 2017/12/25 9:30頃)

玉里は昔、「田余、田餘」と書いたようだ。 発音も「たまり」ではなく「たあまり」だったのかな・・・・

霞ケ浦の自然 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/12/27 09:33

武田の里

 今日は行方市にある「武田の里」の紹介です。

山梨県韮崎にも「武田の里」がありますが、それとは違います。

こんなところ何処にあるの? と思われるかもしれません。

茨城県行方市の旧北浦町です。 鹿行大橋の少し手前です。

でも、ほとんど知られていないと思います。

石岡から奈良霞ケ浦北岸に沿って国道355線を玉造まで行って、そこから354号線で鹿行大橋方面に進みます。
土浦方面なら霞ケ浦大橋を渡ってそのまま進みます。

鹿行大橋の少し手前の右側にあります。

PB020014s.jpg

実はこのあたりは「武田」地区と言われています。

ここは甲斐の武田氏の一族が、上杉禅秀の乱(1416年)のころに移り住んだと伝えられています。

PB020015s.jpg

甲斐(山梨県)の武田信玄で有名な武田氏は源氏の血筋で、常陸国とつながりがあるといわれています。

話しは源氏の八幡太郎義家の弟の新羅三郎が兄の義家の奥州征伐(後三年の役)に応援で駆けつけ、戦いに勝利した後、都に戻ってから常陸介としてふたたび常陸国(茨城県)にやってきます。

そしてひたちなか市の武田郷(勝田の少し南)に住み、武田冠者などと呼ばれます。

この義光の長男が戦国時代に常陸国を統一した佐竹氏となります。

義光は長男をすぐ上の兄のところに養子に出してしまったので、次男を連れて常陸国で暮らしていました。
そして領地を広げて、鹿島神宮領にからんで争いが起こり、常陸国から追われて甲斐国に逃げたといわれますが、詳細はいくつか説があり詳しくはわかりません。

さて、この北浦近くの西側(行方市)に甲斐国の武田氏の一族が移り住んだといわれるのは上杉禅秀の乱(1416年)の頃だといわれています。
まあ常陸国を追われてその子孫の一部がまた舞い戻ってきたのでしょう。

甲斐武田氏の10代(甲斐源氏13代)当主(武田氏の初代は義光の孫である源清光の次男とした)である武田信満が親戚関係にもあった上杉禅秀に味方して敗れ、木賊山(後の天目山)で自害するという事件が発生しました。
天目山は後に、信長に敗れた武田勝頼が自害(1582年)したところですね。

さて、この北浦の武田氏はこの武田信満の弟である武田信久が、兄が自害した時に千葉兼胤を頼って千葉に逃れてきたのが始まりだとされているようです。

そして翌年の 応永24年(1417)にこの北浦の地に逃れ、ここに城(神明城)を築いて住み着いたと伝わっています。

1438年に西砦、1455年に小貫城、1533年に木崎城を築いています。

しかし、1590年の佐竹氏の常陸国統一時にこの城なども消滅してしまいました。

同じ源氏の仲間、しかも先祖は同じなのに佐竹氏にやられてしまったようです。

ただ、この地を選んだのも、元々のひたちなか市武田郷にいた武田氏の一部が大洋村側からこの辺り一帯に住んでいたのではないかともいわれていて詳しくはわかりません。

かなり興味深いのですが・・・・

PB020016s.jpg

いまはこの「ふきのとう」という地域おこしの建物といくつかの建物がありますが、あまり活発な様子は見えませんでした。
ネットで検索すれば何かイベントやこのあたりを散策するツアーのような企画をやっているようです。

PB020013s.jpg

でもどこも地域おこしと言っても大変ですね。

PB020012s.jpg

小美玉・行方地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/12/22 21:13

常陸高野の大イチョウ

 葬儀も終わり、翌日銚子に出かけましたが、やはり体力的には相当疲れました。
途中のコンビニ駐車場で少し寝てしまいました。

今日はかなり回復してきました。やはり若くはないですね。
母の生まれは新潟県の山の中。
親戚も来ておりましたが、今日は吹雪で大変そうです。
こんなに雪が早い年はありませんでしたので・・・。
ニュースを見るたびに大変だなと思います。

さて、銚子に行く途中で行方市の西蓮寺に立ち寄りました。
ここの1000年大イチョウ2本の黄葉をまだ見られるかと思ったのです。

でも少し遅かったようです。

PC120001s.jpg

今年もこの穴をのぞいてきました。
明るい黄色の世界が見えます。

PC120002s.jpg

これが穴の向こう側です。

PC120004s.jpg

こちらの木葉少しまだ黄色の葉がありました。
黄色い絨毯が広がります。

PC120009s.jpg

黄色の絨毯と向こう側の竹林に陽がさして・・・・

小美玉・行方地区 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/12/13 17:34
« Prev | HOME | Next »